2001年,日本,116分
監督:相米慎二
原作:鳴海章
脚本:森らいみ
撮影:町田博
音楽:大友良英
出演:小泉今日子、浅野忠信、麻生久美子、香山美子、鶴見辰吾

 明け方の桜の木下で目覚めた男女、男は前の晩の事をまったく覚えていなかった。ゆり子はピンサロ嬢、何か考えがあって実家に帰ろうとしている。澤城は官僚、よって万引きまがいの事をしてしまったために停職処分にされている。雪山を見に行こうと約束した二人だったが、しらふに戻った澤城はゆり子を置いて、帰ってしまう…
 相米慎二監督の遺作となった作品。小泉今日子と浅野忠信の二人芝居という感じ。

 口笛というと、うきうきした気分のときに出るものという暗喩がまかり通っているような感じだけれど、実際に口笛が口を突いて出るのは、そんないい気分のときばかりではなく、悲しさを隠したいときや気まずさをごまかしたいときだったりする。小泉今日子演じるゆり子の口笛はそんなごまかしの口笛であり、彼女の笑いもまたそんなごまかしの笑いである。一人になって遠くを、あるいは手元をじっとみつめるときのまなざしに何らかの意味を感じ取れるのは、そのようなごまかしの陽気さとの対比がはっきりしているからだろう。口笛というほんの小さな舞台装置で他の部分に意味を埋め込むことができるというのは素晴らしい。
 この映画のゆったりとしたスピードは、移動するカメラとそれによって実現される1シーン1カットのリズムだ。回想シーンはカット数が多く別のリズムだが、本編の大事なシーンでは1シーン1カットが使われていることが多い。一番印象的なのは頭を怪我した澤城をゆり子が手当てするシーン、ここは(多分)カメラも固定で、縦方向の移動を使って動きを作り出して、1シーンの長さを感じさせない。1シーン1カットという方法は映画の基本といういえるが、1シーンがある程度の長さになると演じるのも難しいだろうし、演出としてもリズムを作るのが難しい。しかし、カットが細切れになると、どうしてもそこにひとつのスピードが生じてしまうので、1シーン1カットがうまく行くと非常にゆったりとしたリズムを作り出すことができるのだろう。
 ちょっと甘っちょろい気もするが、ゆったりとしていて味わい深いヒューマンドラマというところでしょうか。

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