Sans Toi ni Loi
1985年,フランス,106分
監督:アニエス・ヴァルダ
脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:パトリック・ブロシェ
音楽:ジョアンナ・ブルズドヴィチュ
出演:サンドリーヌ・ボネール、マーシャ・メリル、ステファン・フレス、ヨランド・モロー
広い畑に掘られた溝で見つかった若い女性の死体。浮浪者のような格好ではかなくも凍死してしまったその娘モナの、その死にいたる直前の数週間、いったい彼女は何をしていたのか?
映画はその数週間の間に彼女が出会った人々のインタビューとそれを再現した映像という感じで展開される。その彼らから感じ取れるのはモナと触れ合うことによって生じた痛切な感情。さすらう女の「自由」と「孤独」。
モナと触れ合った人々がモナについて語ること。そのことによってその語る人の人間性がえぐられていくようである。完全に自由で、しかし完全に孤独なモナ、その彼女とどう接するのか、それはその人がどれくらい自由で、どれくらい孤独であるのかを如実にあらわす。主要な人物の一人である農作業に力を注ぐ哲学の先生、家族と過ごし、自分のやりたいように生きている彼は、果たして彼自身が言うように「自由と孤独の間」を生きているのだろうか? モナとモナが出会う人たちの中で本当に自由なのは誰で、本当に孤独なのは誰なのか? 自由とは何か?孤独とは何か? その答えが決して出ないことは、この問いが果てしなく繰り返されることからも明らかだが、この映画は自由であること、孤独であることが、いったいどのようなことであるのかを表現している。それは「何か?」という問いに対する答えではないけれど、その問いを超えたところにある別の問いを投げかけるものだ。モナは一人テントで寝るときになぜ微笑んだのか?
この映画がこれだけ力強く問いを投げかけることができるのは、映像がしっかりと語っているからだ。人のいないフレームと人のいるフレーム。それはカメラの移動、あるいは人の移動によってひとつのカットとしてつながったフレーム内での変化。あるいは、カットが変わる時の突然の変化。
この映像を語ることは難しいのだけれど、人のいないフレームのはっとするような美しさと、人がいるフレームのほっとするような安心感とでもいえばいいのだろうか。人のいないフレームはきりりとした美しさを持っているのだけれど、そこには何か一種の緊迫感のようなものが漂う。そこからするりするりとカメラが動くことによって、緊張感は高まる。早くフレームに人が入ってきてくれと思う。この緊張感は何なのか?
そして、そんな映像とは裏腹に正面からのクロースアップで構成されるインタビューの場面。カメラをじっと見据えてモナについて語る人々の暖かさや冷たさや、痛み。モナが死んでしまったということを知らず、やさしさを込めてモナについて語る人々、突き放すように語る人々。
それらすべてから感じ取れる自由と孤独のせめぎあい。これぞまさに、言葉ではできない哲学を映像によって行っているといっていい作品。哲学する映画をこよなく愛する私はこの映画を愛することに決めました。
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