La Stanza del Figlio
2001年,イタリア,99分
監督:ナンニ・モレッティ
原案:ナンニ・モレッティ
脚本:ハイドラン・シュリーフ
撮影:ジュゼッペ・ランチ
音楽:アレッサンドロ・ザノン
出演:ナンニ・モレッティ、ラウラ・モランテ、ジャスミン・トリンカ、ジュゼッペ・サンフェリーチェ

 精神科医のジョバンニは妻パオラ、息子アンドレア、娘イレーネと仲睦まじくし暮らしていた。そんなある日、学校に呼び出され息子に窃盗の疑いがかかっていることを知る。息子を信じようとするジョバンニだったが、そこには一抹の不安が…。その事件をきっかけとして、家族の歯車が微妙に狂い始める…
 なかなかメジャーになれなかった寡作の監督ナンニ・モレッティがカンヌ・パルムドールを獲得し、一気にメジャーになった。作品としてはいわゆる感動作という感じだが、「家族の絆」などという安易な結論にいかないだろうという予想はできるかもしれない…

{ 映画はなんとなく進む。息子が死んでしまった後の家族の話が眼目となるのだろうけれど、そこもまたなんとなく進む。家族は議論をしているようで全く議論はしていない。自分の信条を吐露するだけの一方的な発話。果たして監督はそんなことを描きたかったのだろうか?
 それはさておき、この映画のラストシーンは秀逸だ。ラストシーンの話をしてしまうのはなんだけれど、その浜辺とバスの切り返し(多分違う場所で撮影していると思うけど)からは家族としての結論が見えてくる気がする。それは浜辺に佇む家族の姿の美しさがそう錯覚させるのだろうか?
 そのラストシーンについて考えていると、そこに至るまでの心理的な道筋がわからなくなってくる。果たして彼らはどうしてそのような結論に行き着くことができたのか? あまり人物の心理を直接的に描こうとしないこの映画からそれを読み取るのは難しい。涙や笑顔や無言の歩みからそれを読み取るのは難しい。主人公のジョバンニはさまざまなことを語り、彼自身の想像する場面も描かれるから彼の心理を推測するのは、ある程度は可能だけれど、この家族の変化を捉える鍵は彼よりもむしろ妻のパオラや娘のイレーネにある気がする。それにしては彼女たちの心理をとらえるためのヒントが少なすぎる。
 だから、美しいラストにもかかわらず、なんとなく消化不良な感じが残ってしまった。一人称で語ることは決してできないはずの家族の物語を一人称で語ってしまった作品。その視点を持つジョバンニに自分を同定できればこの映画に浸ることができるのだろうが、それができないと厳しい。そして監督は主人公(それはつまり自分)の視点に観客を引き込む努力をしていない。
 これは監督が主演する映画にたびたび見られる欠点でもある。監督で主演ならば、その視点に自分が立つのは当たり前だ。監督と主演の両方をして、自身が映画に没入しすぎないようにするのは難しいのだろう。そんな中で観客の位置を正確に把握していくのはさらに難しい。

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