1939年,日本,146分
監督:溝口健二
原作:村松梢風
脚本:依田義賢
撮影:三木滋人、藤洋三
音楽:深井史郎
出演:花柳章太郎、森赫子、河原崎権十郎
六代目尾上菊五郎を継ぐべくして歌舞伎の修行をする尾上菊之助。周囲は大根と陰口をたたくが、本人の耳には届かない。しかし、自分の才能に疑問を抱く菊之助はいたたまれない毎日を送っていた。そんな時、夜道であった弟の乳母お徳が菊次郎に世評を伝える…
江戸の歌舞伎の世界における浮沈を描いた重たいドラマ。溝口の戦中の作品のひとつで、歌舞伎というあまり知らない世界を描くという点でも非常に興味深い。
この作品の何が気に入らないのかといえば、ドラマです。菊之助はさまざまな人に支えられ生きていて、本人もそれを受けて成長しているように描かれているけれど、実のところ彼は非常にエゴイスティックなキャラクターだと思う。世間知らずのボンボンであるという人間形成でそれも許されるものとされているのかもしれないけれど、苦労を重ねて芸は磨かれたのかもしれないけれど、人間性はちっとも磨かれていない。にもかかわらず、立派な歌舞伎役者になれた=立派な人間になれたという描き方で描ききってしまうところが気に入らない。エゴイスティックであるにもかかわらず人の意見をすぐに聞き入れてしまうところも気に入らない。
などと、映画の登場人物のキャラクターに文句ばかり言っても仕方がないのですが、これはおそらく感動を誘う作品であるにもかかわらず、こんな主人公ではとても感情移入ができんといいたかったわけです。感情移入できるのはお徳さんのほう。しかし、菊之助が歌舞伎役者として立派になればそれですべてよしという(愛が故の)徹底的な利他主義というのは納得がいかない。そもそもいつから菊之助にそんなに思い入れるようになったのかもわからない。それじゃ映画に入りこめんわい、といいたい。
ということで、文句ばかり言っていますが、それでも溝口、他の部分で補います。たとえば、不必要に長いと思えるほどの歌舞伎の場面。大根の時代の場面がないだけに比較対照はできないものの、その歌舞伎の迫力が画面から伝わってくることは確かでしょう。それだけに観客の拍手の多さはちょっとわかり安すぎるかなという気もさせましたが。後は、茶店の場面なども溝口らしさが漂います。町外れの茶店で、そこの婆と菊之助がやり取りをするだけなのですが、そのロングで撮ったさりげなさが溝口っぽい。ドラマティックには演出せず、さりげなくさりげなく撮る。これが溝口だと思いました。
となるとこれは、可もなく不可もなく、ではなく、可もあり不可もある作品、ということです。
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