1975年,日本,116分
監督:市川崑
原作:夏目漱石
脚本:八住利雄
撮影:岡崎宏三
音楽:宮本光雄
出演:仲代達矢、伊丹十三、岡本信人、島田陽子、岡田茉莉子

 中学校の教師苦沙弥の家に迷い込んだ野良猫。苦沙弥は妻と3人の娘と暮らしている。そこに日参する独身の迷亭、たまにやってくる研究者の寒月、話はその寒月が苦沙弥の家の近くの実業家の金田の娘と知り合ったことから始まる。
 筋があるのかないのかわからない「吾輩は猫である」を見事に映画化。このとりとめのない物語を映画にするのは大変だ。

 前半は本当に取り留めなく、まさに「吾輩は猫である」の世界のごとく展開してゆく。こういうのをなんというのでしょう。わびさび? ちょっと違う。しかし、劇中で出てきた句「行水の 女にほれる カラスかな」とはまさに作品の感じで、ちょっとしたおかしさと余韻のようなものを含んでいるような気がします。迷亭というのがその不思議な感じを出す最大の要因で、原作でもそんなキャラクターだったかどうかは思い出せませんが、この映画では前半部の主役といっていいキャラクターなわけです。
 しかし、この映画そのまま最後まで行ってしまうのではなく、中盤からちょっとした物語性を帯びて、苦沙弥が主役らしい主役になっていく。苦沙弥の苦悩というものが映画のテーマになっていくわけです。とりとめのないまま最後まで行ってもいいのかと思いますが、この映画の展開の仕方はなかなか見事ですね。いつそんなまっとうな物語が始まったのかわからないまま、気付いてみればその物語に巻き込まれている。とりとめのない話の間に苦沙弥&迷亭の味方になってしまった観客は苦沙弥の苦悩に呼び込まれていってしまうわけです。そこにさらに猫がうまく絡み合って… とラストまでドラマを帯びながらもどこかシュールで、依然としてどこか俳句の世界のような余韻を残しながら映画が展開していくところがいい。のでした。
 やはり市川崑は市川崑。面白い映画を作り続けるのでした。そうえいば、1955年には「こころ」も映画化しています。みたことないですが、見たほうがいいのかもしれない。この『吾輩は猫である』を見る限り市川崑はなかなか漱石と相性がいいのかもしれない。イメージとしては谷崎なんかのほうがありますが、志賀直哉の『破戒』なんかもあるし、古典文学といわれるものを映画化するのが得意なのかもしれませんね。

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