No Man’s Land
2001年,フランス=イタリア=スロヴェニア他,110分
監督:ダニス・タノヴィッチ
脚本:ダニス・タノヴィッチ
撮影:ウォルター・ヴァン・デン・エンデ
音楽:ダニス・タノヴィッチ
出演:ブランコ・ジュリッチ、レネ・ビトラヤツ、フイリプ・ショヴァゴヴイツチ、セルジュ・アンリ・ヴァルケ、カトリン・カートリッジ
交代兵として全線へと向かうチキとニノとその仲間たち。闇の中をガイドに従ってやってきたものの、深い霧に視界を奪われ、朝まで待機することに。朝目覚めてみると、そこはセルヴィア軍の塹壕の目の前だった。銃弾の雨を浴びせられる中、チキはかろうじて中間地帯の塹壕に逃げ込んだ。そしてそこに、セルビア兵が偵察にやってくる…
戦争を真正面から取り上げているにもかかわらず、コメディとしたところにこの映画の成功の鍵がある。国連軍まで巻き込んで展開される展開は笑いを誘いながら、決してふざけてはおらず、しっかりとしたメッセージも伝わってくる。
戦争を戦争映画としてではなく描こうとすると、パロディ化するかヒューマンドラマ化するかという方法論が多い。パロディ化とは一種のコメディ化だけれど、この映画のようにパロディではない形で笑いを中心とするというのは珍しい。ヒューマンドラマの方向性で、暖かい笑い見たいなものもあるけれど、それとも違う。それがこの映画のいいところであり、それがリアルというかわざとらしくない秘密だと思う。
果たしてこの映画はコメディかということになると、それはなかなか難しい。確かに笑いが映画の中心となっているけれど、それはすっきりとした笑いではなく、シニカルな笑い。しかし物語りは非常に突き放した感じで、すっきりしている。終わり方などを見れば、「このどこがすっきりしているんだ!」と思う向きもあるかもしれないけれど、へんにうまくいってしまったりすると、きっとそのわざとらしさというか、つくりものじみた感じになってよくないと思う。ポイントはこの徹底的に突き放した感じ。しかも、ヒューマンドラマを見慣れてしまった観客にはこの描き方は新鮮に映る。
見終わった後でも、この映画の印象はなかなか強く、後に引きずる。パッと見はなんともやるせない終わり方、ちょっと考えるとこの突き放し方がさっぱりしている、後で振り返るとさまざまなことがわだかまりとして残っている。そんな重層的な感想が持てる。
わだかまりというのは、おそらく監督がこの映画で描きたかったことで、結局何も変わっていないということ。表面的には国連の役立たず振りというか、むしろ火に油を注ぐ役目しかしていないということが笑いのネタにもなっているし、中心的な批判の対象になっているように見える。あるいは、マスコミの問題も見ている側が憤りやすい存在である。
しかし、本当にえぐりたかったのはそのさらに奥にある問題で、それは決して直接的に描くことはできない問題。たとえば、殺し合いをしているのは言葉が通じるもの同士で、敵の通訳によってしか仲裁者の言葉を理解できないということ。その落とし穴。その落とし穴に落ちてしまったのはなぜなのかということは描かない。あるいは描けない。落とし穴に落ちてしまった人々と落とし穴の上から見ている人々を描く。上にいる人々は落とし穴を生めることはせずに、ふたをしていってしまう。問題は落とし穴の中にあるのか、外にあるのか、穴自体にあるのか、
この映画の舞台が塹壕なので、穴というメタファーが浮かびましたが、逆にわかりにくくなってしまったような気もします。笑われていることが問題であることのように見えるけれど、本当に深刻な問題は笑われていない問題のほうにあるということだと思います。
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