Tosca
2001年,フランス=ドイツ=イタリア=イギリス,126分
監督:ブノワ・ジャコー
原作:ヴィクトリアン・サルドゥ
脚本:ジョゼッペ・ジャコー、ザルイジ・イリッカ
撮影:ロマン・ウィンディング
音楽:ジャコモ・プッチーニ
出演:アンジェラ・ゲオルギュー、ロベルト・アラーニャ、ルッジェロ・ライモンディ、マウリツィオ・ムラーロ
プッチーニのオペラ『トスカ』をスクリーン上で演じた作品。舞台を映画化する、あるいはオペラをドラマとして見せるのではなく、映画という舞台装置の中でオペラを表現するという珍しい表現形式をとる。
1800年のローマ、教会で壁画を描いていたマリオ・カヴァラドッシのところに政治犯として投獄されていた友人のアンジェロッティがやってくる。そこにカヴァラドッシの恋人トスカがやってきてマリオはアンジェロッティを隠した。そしてトスカが去った後アンジェロッティを逃がすが、そこに警視総監のスカルピアがやってきて…
オペランファンにはたまらないのだろうか? 出ている人たちはオペラ界ではかなり名の売れた人たちらしい。オペラを愛好する人たちは結構いるとは思うけれど、一般的に知られているといえば、三大テノールくらいのもので、なんともマニアックな世界という気がしてしまう。だからこの映画がオペラファンにはたまらないものであっても、私には映画ですらない映画としか思えない。
オペラとして面白いのかどうかはおいておいて、これが映画になっているのかどうかを考えてみると、オペラをそのまま映画にしたものではなく、映画のためにオペラを作り変えたものなので、多少は映画よりになっているということはいえる。そしてより映画的にするためにドキュメンタリー的要素も取り入れたということになるのだろう。
しかし、このドキュメンタリー的要素として導入された収録現場の風景が逆にこの映画の映画との隔たりを物語る。映画にはやはり物語が必要であり、オペラ自体には物語がある。しかしこの収録場面には物語がない。これはつまり香港映画なんかでエンドロールに流れるNG集が映画の中に織り込まれてしまったようなもので、とりあえずの間は続くべきである映画空間を切り刻み、映画に擦り寄っただけの単調なオペラの切り売りに出してしまう。オペラによる劇がリアルであるかどうかという問題以前に、この映画は映画的空間を現出させるのに失敗しているといわざるを得ない。
ミュージカル映画はそれが徹底して映画的空間であるがゆえに、ひとつのジャンルとして成立しえた。そこに違和感を感じる人がいたとしても、それはミュージカルそのものに対する違和感であり、いわゆるリアリズム的な映画との齟齬であり、映画というジャンルの中での差異による違和感である。いくら違和感を感じても、ミュージカル映画が映画的空間から逸脱するとこは(大部分の映画では)ない。
この映画も収録場面の部分をはずすか、最後にもってくればある種の「オペラ映画」にはなったかもしれない。それはオペラの舞台装置を映画に変えたオペラファンに向けた映画にはなってしまうけれど、それはそれでひとつの映画になったはずだ。
この映画がこのようにドキュメンタリー的な要素や異なった画面を使うことによって狙ったのは、オペラファン以外の観客に受け入れられようということだろう。しかしオペラファンではない私がこの映画を見る限りでは、「こんな映画を見るよりは生でオペラを見たほうが何十倍も面白いんだろうなぁ」という当たり前な感慨だけだ。
だから、この映画はオペラファン以外にはまったく受け入れられる余地はないし、そもそも映画ではない。これも見て「オペラ見てみたいなぁ」と思ったらオペラを見に行けばいいし、私にもオペラのよさは多少伝わってきたけれど、やはりこれは映画ではない。
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