1958年,日本,116分
監督:野村芳太郎
原作:松本清張
脚本:橋本忍
撮影:井上晴二
音楽:黛敏郎
出演:大木実、宮口精二、高峰秀子、田村高広、菅井きん、高千穂ひずる、浦辺粂子

東京発鹿児島行きの汽車に駆け込んだふたりの刑事、電車は混みあってなかなか座れず、まる1日以上かけてようやくたどり着いたのは佐賀。まず地元の警察により、犯人がやってくるのではという目当ての家の目の前にある旅館に部屋をとる。犯人の元恋人と思われる女は毎日平凡な日常を送る主婦で、張り込みは成果のないまま何日も続いていく。

10本以上の清張作品を映画化した野村芳太郎による清張作品の第1作。脚本には黒澤作品で知られる橋本忍、音楽は市川崑、小津安二郎など数多くの作品に参加している黛敏郎と豪華な顔ぶれ。

映画はいかにも良質のサスペンスという感じだが、直接ストーリーにはかかわりのない部分を膨らませ、ゆったりとしたリズムで進むあたりが、味がある。

最初の汽車での長い旅から、徐々に事件の全貌と柚木の抱える事情が明らかになっていく展開の仕方がなかなかうまく、「どういうことなんだ?」という疑問を抱かせたまま中盤までトントンと進んでしまう。そして後半は一気に物語が展開し、サスペンスらしい面白さに満ちる。

とは言っても、決して派手な立ち回りなんかがあるわけではなく、非情に微妙な真理的な展開で話を転がしていくところがいい。

宮口精二扮する下岡刑事と旅館の仲居たちとのやり取りなんて物語にはまったく関係ないのにとても魅力的だ。こういう瑣末なことが実は重要で、隣に泊まったアベック(アベックという言葉もなかなか時代がかっていて印象的)が事件に絡んでくるんじゃないかとかいらない邪推をしてしまうのもサスペンス映画を見る楽しみなわけです。

サスペンスを見るとどうしても、いまのTVサスペンスと比べてしまう(いま日本映画ではこういうサスペンスというものはほとんど存在していない)けれど、それと比べるとやはり非情に慎ましやかでいい。扇情的な音楽を使うのでもなく、クロースアップを使うのでもなく、唯一映画的な効果といえば大木実のモノローグくらいでそれでも十分にサスペンスフルな展開にする。画面のサイズとか予算の違いもあるけれど、それだけ力強いものを現在の日本では作れなくなっているということなんだろう。

クロースアップといえば、ふたりの刑事のクロースアップはたまにはさまれる(1度などはおでことあごが切れるくらいのものすごいクロースアップ)のに、高峰秀子のクロースアップはまったく出てこない。これは張込みする刑事の側に視点を置くために非情に周到なやり方で、なかなかその表情をうかがい知ることができないところで張込みする刑事の焦燥感のようなものを観客が共有できるように作られている。

そんななか、ロングで捉えても高峰秀子はすばらしい演技をしている。背中で、肩で、そして傘でも感情を表す。高峰秀子はこのとき34歳で、3人の子がいる母親役をやってもおかしくないはずなのに、童顔のせいかすごく若く見えるし、そのような立場に不似合いに見えるというのも映画にぴたりとはまる。

高峰秀子はいいですねぇ。

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