Telma & Louise
1991年,アメリカ,128分
監督:リドリー・スコット
脚本:カーリー・クォーリ
撮影:エイドリアン・ビドル
音楽:ハンス・ジマー
出演:スーザン・サランドン、ジーナ・デイヴィス、ハーヴェイ・カイテル、マイケル・マドセン、クリストファー・マクドナルド、ブラッド・ピット

ウェイトレスをして暮らす独身のルイーズと抑圧的な夫と暮らす主婦のテルマ、仲のよい二人は週末をルイーズの勤める店のオーナーの別荘で過ごそうとしていたが、テルマはそれを夫のダリルに言い出せず、結局黙って家を出てしまう。そして、開放的になったテルマは立ち寄ったパブではめをはずし、男と夜通し踊ったが…

大作のイメージのあるリドリー・スコットがふたりの女性を主人公にしたロードムーヴィー現代作った。なんといっても主人公のふたりがはまり役で、物語にも力がある。それまで泣かず飛ばずだったブラッド・ピットがブレイクするきっかけとなった作品でもある。

とにかく痛快。女性版『明日に向って撃て!』という観もあるわけですが、逃亡というのは非常に映画的で面白くなります。やはり緊張感が持続するというのが最大の要因なんでしょうけれど、ただそれだけでは伸びっぱなしのゴムのようで面白くはならない。たまにふっと緩む場所があるとそこに抑揚がついて面白くなるわけです。

その点で、この映画は非常にうまい、最初から2人のキャラクターが対照的な正確に描かれている。象徴的なのはもちろん2人が旅の荷物をパッキングする場面ですね。ここできっちりと几帳面なルイーズと大雑把で行き当たりばったり、しかし心配性なテルマというキャラクター設定がはっきりとわかる。そして、事件がおきるまでは「何か起きそう…」という緊張感を保ちながら、テルマがそれを緩ませる役を負っている。その役割は事件後もしばらくは続くわけですが、ある一点で、その二人の立場が逆転する。ネタばれ防止のためどこかは言いませんが、それはあからさまにわかることなので、大丈夫でしょう。

ふたりの間には常に主導権争い(別に争っているわけではないと思うけど)があって、どちらがリードしていくのかが流動的に動いている。そしてそれを示すのが運転とタバコ。運転は結構しょっちゅう変わるわけですが、主導権を握っているほうが運転することが多い。そして、主導権を握っているほうはタバコをすっているカットが多い。そもそもタバコをすっているのはルイーズだけだったのに、いつの間にかふたりともすうようになっているわけですが、この映画ではタバコというものはかなり意識的に使われている。最近のアメリカ映画ではタバコが小道具として使われることはなくなってしまったわけですが(タバコを吸っている人が出てきただけでR指定にするという案も出ているらしい)、80年代くらいまではタバコというのは非常にいい小道具として使われていたなぁ… などとも思ったりします。

とにかく、そのような小道具なんかに注目してみると、また主人公ふたりの心理の動きとかが見えるようになって面白い。

そのようにして二人の役割とか立場が変化していくことがこの映画の大きな原動力になっているわけです。だから、このふたりはアカデミー主演女優賞にダブル・ノミネートされたのもまったくうなずける話です。

あとは、脇役にも存在感があります。ブラッド・ピットもいいし、ハーヴェイ・カイテルもいい。ブラッド・ピットは実はウィリアム・ボールドウィンの代役で出演したらしいですが、これ以前にはほとんどテレビ俳優だったようです。ハーヴェイ・カイテルのほうもこの年『レザボアドッグス』にも出演し、ブレイクの年となったわけです。『レザボアドッグス』といえばルイーズの恋人役のマイケル・マドセンも『レザボア』で印象的な役を演じていました。

そう考えると、タランティーノを中心とした90年代のアメリカ映画とも関係がありそうなこの映画。その流れはウォシャウスキー兄弟あたりまでつながりそうな気がします。ウォシャウスキー兄弟の出世作も女性2人が主人公の『バウンド』だったし、リドリー・スコットといえば『ブレード・ランナー』で、90年代あたりのSF(あるいはオタク文化)の流れを先取りしたという印象もある。

ということなのかもしれませんが、そんなことはともかくこの作品は面白い。特に女性にはよいでしょう。痛快爽快。

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