メロドラマの名手木下恵介の実験的モダニズムメロドラマ
1959年,日本,78分
監督:木下恵介
脚本:木下恵介
撮影:楠田浩之
音楽:木下忠司
出演:岸恵子、久我美子、有馬稲子、川津祐介、笠智衆
長野県の寒村の名家名倉家の使用人春子は戦時中に名倉家の次男英雄との心中を試みるがひとり生き残り、息子捨雄を生んだ。捨雄は使用人として扱われながらも跡取り娘のさくらに思いを寄せるが、そのさくらもついにお嫁に行くことになり…
木下恵介が農村を舞台に展開するメロドラマ。時間軸を交錯させる語りが斬新だが、内容はきわめて古典的。
“家”へのこだわり、体面を過剰なほどに気にする考え方、男女関係に対する頑なな制限、そんな古きよき(?)日本の考え方が如実に現れた農村の名家を舞台にしたメロドラマ。その中心にいるのは東山千栄子演じる“おばあちゃん”。8歳年下の男のところに嫁に来たことで後ろ指を差されながら、夫亡きあとも家名を守るためにひとり奮闘し、“心中”などという恥さらしな行状に及んだ春子と英雄を許すことはない。
この東山千栄子の「やなババア」加減がものすごい。捨雄や長男の嫁であるたつ子が屈辱に耐えてこぶしを握るその姿が目に浮かぶようだ。しかし最も屈辱的に感じていいはずの春子はまったくと言っていいほど反発心を見せない。忍従しているという感じでもなく、むしろすべてをあきらめているという感じだ。それはこの作品の登場人物のほとんどが縛られている日本的な価値観によるものだろう。心中に失敗したことで春子は自分が死んだも同然だと感じ、何の意欲も希望も持たずに生きる。死んだ英雄とその家族に対する申し訳ない気持ちもそれを後押しする。だから彼女からはもはや感情が失われてしまっているのだ。
この作品はそのような登場人部たちの感情をつぶさに描きながらクロースアップという手法はとらず、徹底的にロングショットで関係性をとらえる。そのどこか覚めた感じが私はいいと思ったが、メロドラマ的にはもっとそれぞれの人物に迫ってどろどろとした心のうちを吐露させたほうが盛り上がったようにも思える。
あえて時間軸を交錯させ、まったく同じシーンを反復し、不自然にも思える展開に仕上げたことも含めてこの作品はどこか木下恵介の実験という印象が強い。木下恵介といえば『喜びも悲しみも幾歳月』のような“ベタ”なメロドラマを作るという印象が強いのだが、単に古典的な文法を踏襲してメロドラマを作り続けるだけではこれほどまでに名を残すことは出来なかったはずだ。今の目から見れば“ベタ”と見える作品の数々も実はその時代時代の手法を取り入れ、工夫して作り上げたものなのだということは間違いがない。そしてこの『風花』はそのような時代感覚を取り入れる作品の一つ、50年代末から60年代に日本映画界を席巻するモダニズムとメロドラマを融合させようという試みの一つであったのだろう。
はっきり言ってその試みは成功してはおらず、ぎこちない作品になってしまった印象は否めないが、黄金期の日本映画を見通す上で一つのヒントを与えてくれる作品ではないかと思う。この時代の日本映画のファンならぜひ見ておきたい作品だ。
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