2011年3月11日に起きた東日本大震災、東京に暮らす森元さんはその10日後、被災地に向かって出発する。23日の仙台の荒浜地区の映像で映画は始まり、そこから北へと移動してゆく。津波の破壊の跡を映し、被災者の声を聞き、小学校の卒業式を撮影し、たくさんの子供たちが亡くなった小学校に行く…
震災から2週間後の被災地を撮影した貴重な映像を一貫して一人称で撮り続けたドキュメンタリー。心してみるべし。
最初のシーンは津波の大きな被害にあった仙台市の荒浜地区の道沿いをおそらく自転車?で走りながら撮影した長い長いカット。車がひっくり返りその上や下に瓦礫がつもり、電柱や信号機が折れ曲がり、家の屋根が流されている。その光景に強い風の音がかぶさって「この世の終わり」かというくらいに感じてしまう。
そして、そのまま北へと向かい、東松島へ。そこで子供が津波で流されたという父親に話を聞く。ここから人が登場し、数は少ないものの肉親や知人を亡くした被災者たちの声をじっくりと聞くことになる。
その話も非常に印象的だが、同時にまだ片付けが始まってもいないような場所にカメラが足を踏み入れる事で、この先に何が待っているかわからない、恐ろしい物を目にしていしまうかもしれないという恐怖も味わうことになる。そして被災者に話を聞くことも、言葉によって話す相手を傷つけてしまうのではないかという恐れを生じさせる。
もっとも印象的だったのは小学校の卒業式のシーン。卒業式で歌をうたう卒業生たちのはうつろで彼らが歌う「スマイル・アゲイン」という歌詞が虚しく聞こえる。このうちどれだけの子供が親や兄弟や祖父母を失ったのか、それを考えると彼らが笑顔になれないのは至極当然のことだ。しかし、その卒業生たちに「最後の宿題」を出す担任の先生の話が感動的で、そこに未来を、絶望から立ち上がることが出来る人間の力を感じることができる。
もう一つ印象的だったのは、家族や知人たちのしについて語る時、大人たちの顔に笑顔が浮かぶこと。笑顔といってももちろん笑っているわけではなく、「あきらめるしかない」という想いの出口が笑顔にしかなかったということだったのではないかと思う。絶望的なことについて話す時、人はこういう表情をするのかということを知り、非常にやるせないというか複雑な思いを抱いた。
そして、この作品がすごいのは、そんな彼らの表情もそうだが、彼らの話も、この時だから撮ることができたものであるという点だ。今話を聞けば彼らは同じ表情を浮かべないだろうし、同じ話はしないだろうし、そもそも撮影に応じてくれるかもわからない。その時にしか残すことが出来なかった表情や言葉、そして今はだいぶ復興が進んでいるその風景を撮ることができたということがすごい。
映画というのは物事を忘れやすい人間が、忘れるべきではなことを思い出す助けになってくれる。この映画も何年かのちに見返すことで、そんな役割を果たしてくれるはずだ。いま、この震災から8ヶ月というタイミングで見ても、もう忘れかけていた震災直後に自分が抱えていた想いというのを思い出させてくれた。
そのような意味でも、これは見るべき映画であると言いたい。
2011年,日本,73分
監督: 森元修一
撮影: 森元修一