イギリス、サウスロンドン署の刑事ブラントは近所で車を盗もうとしていた若者を袋叩きにする。暴力沙汰で何度も問題を起こしているブラントは静かにしているよう命ぜられるが、警察官を狙った連続殺人事件が起き、捜査に乗り出す。犯人の目星はすぐつくのだが…
「トランスポーター」シリーズのジェイソン・ステイサム主演のクライム・アクション。ハリウッドのパターンからはちょっと外れた味わいが良い。

 警察者のクライムアクションというとハリウッドには本当に腐るほどあり、まあイギリスやフランスにもある。そして、今回の主人公は暴力沙汰で知られる警察官。これもまあよくある設定だ。そこに警官殺しの犯罪が起き、休暇中の警部に変わって他の署から臨時の警部代理がやって来る。この警部代理というのが巡査部長から昇格した手のしかも「ホモ」と揶揄される人物。しかし、主人公のブランと箱の警部代理のナッシュと捜査を進めることを選択する。

対照的な二人の警官がコンビを組んで操作にあたるというのもハリウッド映画の常套手段、衝突しながらも互いに理解を深め、最後には友情で結ばれ、もともと優秀な警官だから事件も見事に解決し、万々歳となるのがパターンだ。しかし、この映画はイギリス映画、そうはならない。どうなるかはもちろん映画を見てもらってと言うことになるが、ようはこれがヨーロッパであり、これがイギリスだという内容。ハリウッドではおそらくこの脚本は採用されないだろう。こんなめちゃくちゃな話はないというか、アメリカではおそらく受け入れられないだろうという内容なのだ。

どうしてそうなのか。私たちは普段何気なくハリウッド映画を見ているけれど、もうすっかりそれに慣れされてしまっていて、そのパターンが染み付いて、そのパターン通りに物語が展開していくことを無意識に期待するようになってしまっているような気がする。特にこの作品のようなアクション映画、単純なエンターテインメント映画の場合はなおさらだ。

そして、その期待というのがどういうものかというと、簡単に言ってしまえば勧善懲悪、主人公は前で最後には勝つというものだ。しかも、その懲悪はある程度のルールに則って行われなければいけない。見るものが是認できるルールというものがあり、その範囲内でしか善人は行動できないのだ。

対してこの作品はというと、主人公が善の側に立っているというのは基本的には同じ、そしてその視点から見ると勧善懲悪の物語でもあるというのも同じ。しかしその善と悪というのは我々の倫理観からしてそれほどすっきりと決まるものではないというところもある。そして、懲悪という部分では全くもってルールには則っていない。これが善と悪の境界を曖昧にするひとつの要因でもあり、それらが一緒くたになって全体にアンチハリウッド的な雰囲気を生み出しているのだろう。

ハリウッドのアクション映画もすっきりして楽しいけれど、たまにこういう作品を見ると、物の見方とか映画の作り方というモノに多様な視点を持てて、単なるアクション映画であってもいろいろな作り方や見方ができるのだと思わせられたりする。アクション映画としてもしっかりと作られているし、意外な掘り出し物という感じだった。

2011年,イギリス,97分
監督:エリオット・レスター
原作: ケン・ブルーウン
脚本: ネイサン・パーカー
撮影: ロブ・ハーディ
音楽: イラン・エシュケリ
出演: エイダン・ギレン、ジェイソン・ステイサム、ゾウイ・アシュトン、パディ・コンシダイン

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です