時は16世紀、天下統一の間近に迫った豊臣秀吉は最後の障壁といえる北条氏への総攻撃を開始、現在の埼玉県にある忍城には石田三成を派遣、裏からも手を回し三成に手柄を立てさせようとする。しかも、城主の成田氏長が小田原へと向かい、城代になったのは「でくのぼう」が由来の「のぼう様」と呼ばれる成田長親、忍城は風前の灯と思われたが…
武士としては頼りないが領民には慕われる実在の人物を主人公に描きベストセラーとなった同名小説の映画化。主演の野村萬斎がなかなかいいが、公開延期の原因となった「水攻め」のシーンはやはり怖い。
主人公の長親は忍城城主の甥だが、「でくのぼう」という意味の「のぼう」と呼ばれる程に役立たずと思われている。自身も城にいても役に立たないとばかりに領地をほっつき歩き、畑仕事に勤しむ領民を見守ったりしているが、農民にも「役に立たないから手伝わなくていい」と言われるしまつ。しかし、子どもたちを始め領民には好かれ、赤ん坊の名付け親になってくれと言われたりもする。
関東の片田舎の城だけに戦国の世にあっても平和な日々だったが、忍城が配下にある北条氏が豊臣秀吉に責められるとなっていよいよ戦が避けられない状況になった。父親の死で新たに城主となった長親のいとこの氏長は北条氏は勝てないと踏み、秀吉と内通して生き残ろうと「援軍を送る」という名目で小田原に向かう。忍城には秀吉が手柄を立てさせてやろうと派遣した石田三成が大群を率いて到着、城代となった長親はすぐにも開城するかと思われたが…
原作がベストセラーとなったこともあって、かなりオールスターキャストな感じで映画化されたが、その中で「でくのぼう」という主役を野村萬斎が演じるのはミスマッチではないかとも思われた。野村萬斎はぼうっとしているという感じでは決して無いからだ。しかし、実際に映画をみてみるとこの主人公はいつもぼんやりした白痴的なでくのぼうというのではなく、政治でも武芸でもはたまた畑仕事でも実用的なことについては全てに不向きで何もできない役立たずであるということだということがわかる。そして本人もそのことを認識していて、だから何かをやろうとも考えず、日々ぼんやりと過ごしているというわけだ。
そんな主人公だからまあ野村萬斎でもおかしくはないし、人懐っこい表情や可笑しみのある言動で「領民に慕われる」という長親のもう一つのキャラクターは見事に演じている。そして、彼が領民に慕われているのは、武士としてはありえないような行動で領民の危機を救ったという出来事にも由来していて、彼には「常識に縛られない」「正義漢」という一面もあるということが示されもするのだ。
そして、この長親を野村萬斎が演じたことの真価は映画のクライマックスであるワンシーンにそのほとんどが発揮されるといっていい。そのシーンがどんなシーンなのかは明かさないけれど(隠すほどのものでもないけれど)、狂言師である彼が演じることで、そのシーンはなみなみならぬ説得力を持つようになり、それがこの映画全体をしっかりとまとめることになるのだ。
ということで、まあ面白い映画だったわけだが、難点も少なからずあった。一つは役者の出来の差。最初にオールスターキャストと書いたが、そのオールスターというのは必ずしも役者として優れているオールスターというわけではなく、そのキャラクターにあう人を様々なジャンルから引っ張ってきたという感じのオールスターだ。その中には石田三成を演じた上地雄輔のようにキャラはあってるけれど、どうにも演技が…という人も何人かいる。
もう一つはVFXだ。津波を思い起こさせるとして公開自粛の理由となった「水攻め」のシーンは確かに津波を彷彿とさせて恐怖心を覚えるものだったが、全体的に見るとCGやミニチュアであることが明らかにわかってしまうシーンもかなりあり、興ざめの原因にもなってしまっていた。
物語として面白くてもキャストや映像に粗があると、やはりそこまで入り込むことができなくなってしまう、面白い映画なのに少しもったいなかった。
DATA
2011年,日本,145分
監督: 樋口真嗣、犬童一心
原作: 和田竜
脚本: 和田竜
撮影: 江原祥二、清久素延
音楽: 上野耕路
出演: 上地雄輔、佐藤浩市、前田吟、尾野真千子、山口智充、山田孝之、市村正親、平泉成、成宮寛貴、榮倉奈々、野村萬斎
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