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14-08-14

LIGHT UP NIPPON ~日本を照らした、奇跡の花火~

  • 震災を記憶に留めるための「祭」という発想そして行動力は素晴らしい

 東日本大震災の影響で東京湾花火大会が中止になることを知った高田佳岳はその花火はどうなってしまうのか花火会社に問い合わせ、その花火を使って東北で花火大会ができないかと考える。4月に早くも被災地に赴き、現地の人たちに花火大会について意見を聞くが、その反応は冷ややかなものだった。それでも高田は諦めず、東京での体制を整え、5月に再び被災地に向かう。
 2011年8月11日に初めて開催された「Ligh up Nippon」花火大会の開催までを追ったドキュメンタリー。素晴らしい活動だが映画としては?

 東日本大震災の直後、直接に被災していな私たちは一体何をしていただろう。思い出してみると、いつもどおりに仕事に出かけ、表面上は変わらぬ日常生活を送っていた人が多かっただろう。しかし、同時に被災地のことが常に頭の多くの部分を占め、東日本であれば毎日のように続く余震に恐ろしさを感じてもいたのではないだろうか。

 省エネのため「Light Down」され暗くなった街で、表面上はいつもと変わらぬ日常生活を送りながら私たちは何を思っていたのだったか。震災から3年半近くがたってもまだ震災は記憶に強くこびりついているけれど、あの時の感情や感覚というのは薄れつつある。

 そんな中、この映画を見ると、その時に描いた感情や焦燥感のようなものがふっと蘇ってくる。この映画の主人公は「東北で花火大会をやろう」と震災から1ヶ月も経っていない頃に思い立ち、何かに駆られるかのように4月には被災地に赴く。そしてそれをカメラが撮影している。当時、カメラを持って被災地に赴いた人はそれなりにいて、いろいろな映画にもなっている。有名なところでは森達也らが撮った『311』、私が個人的に名作だと思っている『大津波のあとに』などなど。

 震災そのものについて記録し、記憶にとどめておくためにはそれらの作品を観たほうがいが、その時の「自分」のことを思い出したいなら、この作品を見るといい。それはこの映画が震災の映画というよりは、震災に直面した1人の人間の映画であるからだ。

 この映画は「Light up Nippon」という活動をテーマにした映画ではあるが、物語としてはあくまでも高田佳岳という個人の物語だ。活動の意味を訴え、これからも継続していくために協力を呼びかける内容で、それには成功しているが、映画としてはあくまで「私がたり」のモノローグでしかない。

 わかりやすいし、「活動の宣伝」という明確な目標を果たすためのものとしてはそれで問題ないのだけれど、「震災の映画」と捉えると、この映画は描かれていないものが多すぎる。確かに実際に開かれた花火大会に参加した人たちの多くは喜んだろう。しかし、最初の4月の段階だけでなく、実際に開催したあとでもそれに反対していた人はいただろうし、花火大会を開くことを想像すらできないような惨状だったところもある。そもそも故郷に立ち入ることすらできず、花火大会の計画すら不可能だった地域だってある。

 そのような見えない人たちのことも描かれていないし、さらに言えば、活動に積極的に参加している人たちのそれぞれの思いも描ききれていない。参加している人たちだってそれぞれの思いがあり、それぞれに訴えたいことがあるはずだが、そこを掘り下げられていないのだ。

 とはいえ、この映画は自分たちに都合の悪いことを隠しているというわけではないと思う。衝突したり、うまく行かなかったりしたことも描いていて、その結果、完璧ではないけれどとりあえず成功したものとして花火大会を描いている。

 考えれば考えるほど、評価したい部分と、疑問に思う部分がさまざまな見えてくる映画だ。活動としては、被災者の人たちに元気になってもらうという意図であり、受け入れられる人たちがほんとうに喜んでくれたんだからこれでいいんだ、と思う反面、だからこそ、その活動を描いたこの映画では、活動の負の側面も描いて欲しかった、とも思うのだ。

 この活動は「100年続く祭り」を目指し、しっかりと活動は継続され、毎年花火が10箇所以上で上がっている。それは素晴らしいことだ。だからこそ、この映画がその活動を説明するものになっているのだとしたら、少しもったい無いとも思ってしまうのだ。

 少なくとも、震災当時の「自分」を思い出すことができるし、花火は素晴らしいし、人の素晴らしさも伝わってくる見て損はない映画と言っておきたい。

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