映画はパーティーの風景で始まる。その準備をいそいそとするマリアが、主人公なのだが、驚いたことにそのパーティはマリアの50歳の誕生日パーティー。彼女は自分の誕生日パーティーの準備を自分でして、お客さんをもてなしていたのだ。
夫や息子はマリアが世話をするのが当然と思っていて、マリアもそのことに特に疑問を持ったりはしていないように見える。そんなマリアが誕生日プレゼントにもらったジグソーパズルに思わずハマってしまい、パズルショップで見かけた「大会のパートナー募集」の広告に応じるのだ。
夫には「時間の無駄」だと言われたので、大会に出ようとしていることは隠し、おばの看病だと嘘をついて、パートナーのロベルトの家に通う日々。マリアはどんどんパズルにはまっていく。と、同時に裕福な独身男性のロベルトのアプローチにも心動かされる。
母親に頼りきりというのはいかにもラテンな感じで、日本人の感覚すると「かわいそう」と思うかもしれないが、マリア自身はそのことを特に不満に思っているようではない。むしろ、その毎日の平凡さの方に何かモヤモヤとしてものを感じていて、そこで出会ったパズルに心惹かれたのでは無いだろうか。そしてその別な世界を見せてくれるロベルトにも。
そこにこの映画が描きたい「人生」と言うのもが凝縮されているように思う。自分の人生に満足している人でも、どこかで別の人生に憧れというか心惹かれるものを持っているものだ。それが劇的な形で出ると劇的な事が起こり、映画というのはだいたいそういう劇的な出来事を描こうとするものだ。しかし、多くの場合、そういう心の動きというのは、日常のちょっとした冒険というような形ででるものだ。普段平凡な生活を送っているなら、なおさらそうだろう。それでも当人にとっては冒険だし、それなりに劇的なもので、そんな小さな冒険の積み重ねこそが「人生」なのだとこの映画はいいたいのだろう。
だから、すごくよく分かる。だけど、特に面白くはない。ごく普通の人のごく普通の日常を見せられているだけで、だからどうなんだとしか思わない。見終わってちょっと久しぶりにジグソーパズルでもやりたいかなと思ったくらいでほかにこれといった感想は浮かばない。
これなら、本当に全く何も起きない平凡な日常を描いたほうが逆に、その裏に隠された心理を読もうとしたり、表面の平凡さの裏に何かあるんじゃないかと邪推してみたり、様々な見方が生まれるようなきがするのだ。まあそういう映画が面白いかというのはまた別の話だが。
結局のところ「平凡が一番」というごく平凡なメッセージを残すだけの映画だった。でも本当に平凡が一番というか、そう簡単には手が届かないような夢物語を追いかけるよりは、自分の身近にある小さな冒険に一つ一つに取り組むほうが、幸せをつかむ近道なのかもしれない。マリアもこの小さな冒険で小さな幸せをつかみ、また人生を先に進めることができるのだから。
DATA
2010年,アルゼンチン/フランス,90分
監督: ナタリア・スミルノフ
脚本: ナタリア・スミルノフ
撮影: バルバラ・アルバレス
音楽: アレハンドロ・フラノフ
出演: アルトゥーロ・ゴッツ、ブリエル・ゴイティ、マリア・オネット
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