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16-05-25

あん

  • 桜や木々が印象に残り、日常の美しさと生きることについて考えた

街角で小さなどら焼き屋をやっている「千太郎のところに一人の老婆が訪ねてきて、「働かせてくれないか」と言ってくる。確かにバイトは募集していたが、年寄りには無理だと考えたせんちゃんはその申し出を断る。しかし、その老婆・徳江は、この店は餡がいまいちだからと、自分が作った餡を店主に食べてもらおうと持ってくる。その餡を食べた千太郎は美味しさに驚き、働いてもらうことにし、お店も繁盛するのだが…

すごくキレイな映画だ。河瀨直美監督といえば映像がキレイなイメージがあるが、この映画は映像というよりも映っているものすべてがキレイという印象を受ける。

序盤から美しい桜が映り、美しく整ったどら焼きを清潔な女子中学生が食べる。店主の「せんちゃん」は美しいというわけではないが、清潔で汚さは見えない。店もこじんまりとしているけれどキレイに整理されていてすっきりとしている。

そのせいもあってかどこか夢の様な印象も受ける。その印象を見終わった後に振り返ってみると、この映画がフランス、ドイツとの合作であるということもその一つの要因なのかもしれないと思ったりもした。これは推測にすぎないけれど、この作品の編集やポストプロダクションはおそらくヨーロッパで行ったのだろう。撮影は日本だけれど、作品が形作られたのはヨーロッパだ。作品の雰囲気をつくり上げるのはそこに映っているものだけではない。編集をする人が感じている空気もどこかで作品に影響をあたえるのではないかと思う。

もちろんヨーロッパだから「キレイ」ということはないのだけれど、アジア映画のごちゃごちゃした雰囲気とは違うキレイさがこの映画には有るように感じられたのだ。

そして、この雰囲気というのは映画にとってじつは非常に重要だ。作品のテーマの一つとなっているハンセン病は、らい病と呼ばれた時代、伝染病と間違われて患者たちは隔離されたと言われてい。
しかし、隔離の原因の一つはその患者の見た目が「醜い」ものであったことだとも言われる。溶け落ちたり、歪んだり、崩れたりする人間の肉体、それは見る人に恐怖を感じさせる。それが患者を隔離する一つの要因となったのだ。

しかし、この映画に登場するハンセン病の元患者たちは、樹木希林や市原悦子はもちろん、一瞬登場する実際の元患者の方たちに恐怖を感じることはないし、その醜さも決して嫌なものには感じられない。そこにこそこの映画のすべてがキレイなほんとうの意味があるのではないかと思う。

ハンセン病の元患者も私たちと変わらないと言葉で言うのは簡単だが、それに説得力をもたせるのは非常に難しい。理性で考えたことを感情が塗り替え、思わず拒否反応を示してしまうということ、
ハンセン病にかぎらず私たちにはあるものだ。しかしこの映画は彼らの姿を段階的に、私たちと同じ「キレイな世界」の住人として描くことでそこに説得力を持たせる。見た目ではなく、心を通わせた上で、彼らについて語ることで、その見た目に対する恐怖が起こるのを防ぐ。

別に社会的なメッセージを発しようと思って作られた映画ではないと思うが、社会から疎外された人たちがいて、その人達も社会の側がもっと暖かく受け入れるべきだという主張がじんわりと染みこんでいくような作品で、じんわりと暖かい。

美しくて暖かい、そこから感じるのは「どら焼き食べたい」ということだけということもあるかもしれないけれど、それこそが特別ではない日常について考えさせ、生きるということについても考えが及ぶかもしれないなどとも思った。

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