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15-12-11

6才のボクが、大人になるまで。

  • 瞬間が積み重ねられた12年、そこからどのような物語を読みとくか。

映画の「時間」というのは基本的には物理的な上映時間を示すわけだが、それ意外にも映画が描いている「時間」というものがある。ほんの短い数時間を描いたものから、悠久の時を描いたものまで、そのバリエーションは様々だが、その時間の経過の仕方というのは、映画を見終わった後に感じる「長さ」に影響をあたえる気がする。

そんなことを言うのも、この映画を見終わった時、なんだかすごく長い時間が経ったような気がしたからだ。上映時間も165分と長いのだけれど、描かれているのも6才の少年が18才になるまで。しかもそれを演じているのは1人の役者で、実際にその時々にその年令の役を演じている。つまり、撮影に12年もの時間がかかるという壮大な規模の作品なのだ。

もちろん、そういう予備知識をもってみたことで、長い時間の経過というものを感じたのかもしれない。しかし、それも踏まえて、人物だけでなく風景やその時代時代の出来事が織り交ぜられていることで、その時間の流れが(あたりまえだが)非常にリアルに表現されているというのが大きいだろう。

フィクションではあるけれど、本当に主人公とその家族が過ごした12年を見守ったようが、そんな気がしたのだ。

その12年はどんな12年だったかといえば、母親が再婚したり、離婚したり、父親も再婚したり、あちこち引っ越したり、色々なことが起き、それはもちろん少年メイソンの心に影響を及ぼすのだけれど、それはあくまで周りで起きている出来事という感じで、メイソン自身は激変する環境の中でも自分と言うものを保ち続けようとしているのが感じられる。

だから、見終わってみると、そんなに劇的な12年ではなかったと感じられるのだ。それが何を意味するかというと、おそらく12年という時の流れも一瞬の積み重ねでしか無いということだろう。物語というのは現在から過去を振り返って、その過去を解釈し、そこに意味や因果関係を見つけて、それぞれの瞬間の重要性を評価していくものだ。

しかし、この映画の場合、そのように過去を再解釈することはあえてせず、その時々の感覚を大事に映画を組み立てていったように思える。それは予め用意された物語を映像にしたのではなく、映像を積み重ねることで、そこから観る側が物語を読み取ることを期待したということだ。

だから、観る人によってかなり見え方が違う作品になっていてそこが、映画自体を見て楽しめるかどうかとは別の意味ですごく面白いと思った。内容はドキュメンタリー的では全く無いのだけれど、どこかドキュメンタリー映画のような感覚もある、非常に不思議な映画だ。

ところで、この映画の撮影が始めったと考えられる2002年ころ、母親役のパトリシア・アークエットは『デブラ・ウインガーを探して』に出ていて、人気TVシリーズ『ミディアム』もまだ始まっていない。父親役のイーサン・ホークは同じリンクレーター監督の『ウェイキング・ライフ』に2001年に、『ビフォア・サンセット』に2004年に出ている。映画が始まった最初に強く印象付けられるのは2人の「若さ」だ。そこから同じ人物の役を12年断続的に演じるというのはどういう気分なのだろうか。

いろいろな意味で面白く、他に類を見ない映画だった。

カテゴリ: 2010年代, DVD, アメリカ

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