Fresa y Chocolate
1993年,キューバ=メキシコ=スペイン,110分
監督:トマス・グティエレス・アレア、ホアン・カルロス・タビオ
原作:セネル・パス
脚本:セネル・パス
撮影:マリオ・ガルシア・ホヤ
音楽:ホセ・マリア・ビティエル
出演:ホルヘ・ペルゴリア、ウラディミール・クルス、ミルタ・イバラ、フランシスコ・ガットルノ、ヨエル・アンヘリノ

 同性愛者が反革命分子として迫害されていたキューバ。結婚するつもりだった彼女が別の男と結婚したことに心を痛めていたダビドは、ある日カフェテリアでチョコレート・アイスクリームを食べていた。すると、彼の前にゲイで芸術家のディエゴがストロベリー・アイスクリームを食べながら現れた。
 当時のキューバの状況を考え、この映画がキューバ政府の検閲を通り抜けてきたということを考えると、いろいろな見え方がしてくると思う。

 何年か前にはじめてみたときは、素直にキューバのゲイというものの現状を表しているようで面白くもあり、映画としても独特の質感があって面白いと思いました。冷蔵庫のロッカもとても印象的。人工的なライティングではない自然光のもつ色合いを初めとした「自然さ」がその質感を作り出しているんだと今回見て思いました。そして面白かったという最初の感想は裏切られることなく、とてもいい作品でした。ちょっとソープドラマくさいところもありましたが…
 しかし、こういう書き方をすると言うことは含みがあるわけで、キューバのゲイの現状という意味ではどうなのかという疑問も浮かんでくるわけです。プレビューにも書いたとおり、当時のキューバは映画に対する検閲を行っており、そもそも政府お墨付きの監督の映画しかキューバから堂々と出ることはできなかったわけです。この映画がキューバ映画として外国で配給されたということはつまり、この映画の監督が政府に認められており、またこの映画は検閲をとおったということです。
 ということを考えると、つまりこの映画に描かれるキューバは外国人がみるキューバの見方として政府が公認したものであるということです。ちょっと前にお届けしたドキュメンタリー「猥褻行為」や今度公開される「夜になる前に」もキューバにおけるゲイへの迫害を描いているわけで(「夜になる前に」はまだ映画は見ていないので、原作の話になりますが)、それと比較することが可能です。この映画でもゲイが迫害されていることは描かれています。そしてその迫害を非難するような態度を見せています。しかし、この映画で問題となるのはその迫害に対する非難がゲイ全体への迫害への非難ではなく、ディエゴ個人への迫害の非難なのです。そして、ディエゴは自らも主張するように決定的に反革命的であるわけではない。むしろ国を愛し、国にとどまりたいと考えている。この点は「夜になる前に」の作者であるレイナルド・アレナスも同様です。彼はキューバが嫌いなのではなく、キューバにいることが不可能であるから亡命する。
 この「国や革命を批判するわけではないが、自分にとってはいづらい環境である」という考え方がそこにはあるわけです。このように集団ではなく個人を扱うことによって問題は曖昧になります。だからこの映画は検閲を通ったのでしょう。
 だからこの映画が本当に何を主張しようとしているのかを探るのは相当難しいことだと思います。私は個人的にはこの映画自体は体制を批判するつもりは毛頭なく、むしろ外国にキューバの寛容さをアピールするものだと思いますが。

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