1938年,日本,74分
監督:亀井文夫
撮影:川口政一
音楽:江文也
出演:松井翠声(解説)

 1938年、東宝文化映画部は当時中国を侵攻していた日本軍を追ったルポルタージュを三部作として製作した。この映画はその3作目で、1作目の『上海』に続いて亀井文夫が構成・編集を担当している(第2作目の『南京』の監督は秋元憲)。
 映画の作りは基本的には『上海』と同じで、兵隊や戦場を撮るよりも、日本軍が通り過ぎた街の風景やそこに住む人々を描く。むしろ『上海』よりもさらに戦争そのものから離れてしまったような印象すら受ける。

 現存するフィルムでは、映画の最初の1巻が失われてしまったというテロップが最初に流れる。映画は紫禁城の建物や、そこに住んでいた西太后らについての解説から始まる。想像するに、1巻目には戦況の解説や北京の街についての概説が収められていたのだろう。それに続いて北京最大の建造物である紫禁城について描く。そのような構成であったと想像する。
 それは、この映画が『上海』と比べてもさらに戦争そのものについての言及が少なく、明確なものとしては終盤に登場する爆撃隊の映像くらい。それを考えると、最初にそこを抑えていたと考えざるを得ないわけだ。

 そのようなことを踏まえた上でこの映画について考えてみると、そもそも戦争というものが頭に浮かんでこない。『上海』では既存の戦争ルポルタージュの文法を逆手にとって、それとは違うものを作っているという感じがしたけれど、この映画はそもそも戦争ルポルタージュではないという気がしてくる。単純なルポルタージュで、その場所がたまたま戦場であっただけというような、そんな印象。
 特に映画の後半は、北京に住む普通の中国人たちの生活を克明に描く。わたしが一番好きなのは、糸屋とか紙屋とか床屋とかいろいろな商売の人たちが登場し紹介されるシーン、ほとんどの人は行商というか、売り物や商売道具を持って歩き回り、おそらくそれぞれの職業に特有だと思われる鳴り物で客を呼ぶ。これをとにかくいろいろな商売について紹介していく。ただそれだけのシーンなんだけれど、その商売の多様さや細分化の度合いを見ていると、それだけでそこで暮らす人々の暮らしぶりが見てくる気がする。

 まあ、それは冒頭の破壊された町の風景とは裏腹に、戦争があっても人々の暮らしは変わらず続くというメッセージであると受け取ることもできるけれど、わたしはその風景を、素朴に単純に眺め、味わいたい。この映画には、そのように感じさせるゆるりとした空気が流れている。
 そんな空気の中では、唐突に言及される爆撃隊はこの映画が戦争ルポルタージュであることを思い出させるためだけにあるような気がしてきてしまう。

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