Southern Comfort
2000年,アメリカ,90分
監督:ケイト・デイヴィス
撮影:ケイト・デイヴィス
音楽:ジョエル・ハリソン
出演:ロバート・イーズ、ローラ・コーラ

 典型的な南部の郊外のトレーラー・ハウスで暮らすロバート・イーズ。どこから見ても普通のおじさんという彼だが、実は女性として生まれ二人の子供まで生んだ後、性転換手術を受け、男性となった。そして今は、子宮と卵巣が末期のがんに侵され、余命いくばくもない状態だった。しかし、彼は秋に開かれるトランスセクシャルの大会(サザン・コンフォート)にもう一度参加することを夢見て、パートナーのローラと懸命に生きるのだった。
 アメリカでも好機の目にさらされるTS(トランスセクシャル)やTG(トランスジェンダー)の問題と真っ向から向かい合ったドキュメンタリー。非常にわかりやすく問題の所在を描き出している。

 TSやTGという人は実際はきっとたくさんいて、ただそれが余りメディアに登場しない。日本では金八先生で「性同一性障害」が取り上げられて話題になったけれど、本当はこれを病気として扱うことにも問題がある。しかし、この映画でも言われているように、性転換手術には膨大な費用がかかるので、保険の問題から病気といわざるを得ないということは言える。性別の自己決定権というかなり難しい問題を理解するひとつの方法としてこの映画は多少の役には立つ。
 実際の問題はそのような理知的なレベルではなくて、いわゆる偏見のレベルにある。「気持ち悪い」とか「親にもらった体なのに」という周りの偏見や勝手な思い込み、これが彼らのみに重くのしかかる。マックスの妹のように身近にそのような人がいればその痛みがわかるのだろうけれど、いないとなかなかわからない。だからこの映画のように、メディアを通じてその痛みを感じさせてくれるようなものを見る。それでも本当の痛みはわからないけれど、何もわからず彼らを痛めつけてしまうよりはいいだろう。
 この映画は、ひとつの映画としては死期の迫った一人の男を追ったドキュメンタリーにすぎず、彼がたまたまトランスジェンダーであったというだけに見える。そのことが強調されてはいるが、それによって何か事件が起こったりするわけではない。穏やかに、普通の人と同じく、一つの生きがいを持って(TSの大会に参加すること)、生きる男の物語。
 だから、特にスペクタクルで面白いというものではないけれど、逆にこのように普通であることが重要なのだ。「普通の人と同じく」と書いたけれど、彼らだって普通の人と変わらないということをそれを意識することなく感じ取れること。つまり、「彼らも普通の人と変わらないんだ」と思うことではなく、「何だ、普通の話じゃん」と思えてこそ、彼らの気持ちに近づいているのだと思う。
 そう考えると、この映画は見ている人の意識を喚起させるのには役立つけれど、彼らは普通の人とは違うととらえているところがあるという点では被写体との間すこし距離があるのではないかと思う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です