社会主義の暗さを感じさせない万国共通の青春の煮え切らなさが秀逸
Niewinni Czarodzieje
1961年,ポーランド,87分
監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:イエジー・アンジェウスキー、イエジー・スコリモフスキー
撮影:キシシュトフ・ウイニエウィッチ
音楽:クリシトフ・コメダ
出演:クデウィシュ・ウォムニッキー、ズビグニエフ・チブルスキー、クリスティナ・スティプウコフスカ、アンナ・チェピェレフスカ
スポーツ医でジャズドラマーのバジリはガールフレンドのミルカに冷たく当たる。その夜、バジリと飲んでいた友人のエディックが一人の女に目をつける。エディックが連れの男をだましてその女ペラギアを連れ出したバジリはペラギアに振り回されながら、彼の部屋に2人でたどり着く。
アンジェイ・ワイダが“抵抗三部作”に続いて撮った青春映画。シンプル表現が秀逸で若きワイダの才能を感じさせる作品。
電気かみそりにテープレコーダをもつ身なりのいい若い男、当時のポーランドの状況はわからないが、なかなか羽振りのいい男のようだ。その男バジリはガールフレンドの呼びかけに対して居留守を決め込み、やり過ごすとドラムスティックを持って出勤する。職場はボクシング上で仕事は医師らしい。そこに勤める看護婦とも過去に何かあったらしく、思わせぶりな会話が交わされる。
夜はジャズバンドにドラムで参加、医師でミュージシャンなんていかにももてそうだし、顔もハンサムで、そのイメージどおりプレイボーイのようだ。何の説明もないが、ワイダはそのあたりをうまくさらりと描く。特別個性的な表現があるわけではないが、無駄な描写もなく着実に物語が構築されていっていると感じることができる。
その後はプレイボーイであるはずの彼がペラギアに振り回されてしまうのだが、そこで展開される哲学的な話や煮え切らなさに青春映画の輝きを感じる。夜が更けてから翌朝にいたるまでの2人のやり取りというのは国や時代を超えてどの若者にも通じる感覚を持っている。それがワイダの才覚なのだろう。
アンジェイ・ワイダの監督デビューとなった“抵抗三部作”はそのメッセージ性の強さが際立って、ワイダの監督としての力量や作家性はその陰に隠される形になった。それでも彼の映像の冴え、表現のうまさというのは感じさせたが、この作品からは彼の簡潔な表現のよさが感じられる。それは青春映画というシンプルなものになったことでディスコースが明確になったということであると同時に、“抵抗三部作”という労作を通して彼の表現力が増したということでもあるだろう。アンジェイ・ワイダはデビュー・シリーズである“抵抗三部作”によって有名だが、その直後に撮られたこの作品は彼の才能がそこにとどまらないことを明確に語っている。
リアルタイムにこれを見た人はこれからの彼の作品にわくわくするような予感を感じたのではないか。50年後に彼の作品を見直す私でさえそう感じるのだから。あとは社会主義という体制が彼の才能と表現にどう影響してくるのか。
この作品の時点ではその体制の不自由さがわずかに影を落としているだけだが、彼が体制と戦っていかねばならないという予感は感じさせる。ヒロインのペラギアはおそらく“自由”の暗喩であるのだろう。それは幻影のように目の前にちらりちらりと表れるけれどなかなか手に入らないものである。最後に“アンジェイ”という本名が明かされるバジリはまさしくワイダの化身なのだ。
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