田舎から出てきて東京で友達の家に居候するカップルの苦難を描いたミシェル・ゴンドリー監督の『インテリア・デザイン』、下水道に住む怪人がマンホールから現れ、東京のまちを混乱に陥れるレオス・カラックス監督の『メルド』、10年間引きこもりだった男がピザの配達員の少女の目を見つめてしまったことから起きる事態を描いたポン・ジュノ監督の『シェイキング東京』。
東京が舞台という以外共通点はないが、どの監督も目に見えるそのままの東京を描いてはいない。それぞれにストーリー的な面白さもしっかりある佳作揃い。
ミシェル・ゴンドリー監督の『インテリア・デザイン』、田舎から友達を頼って上京してきた映画監督の卵アキラとその恋人ヒロコ、お金もなく、アパートもなかなか見つからず、アキラはバイトに追われる。映画の上映会は成功を収めたかに見えたが、バイトもなく部屋探しを続けていたヒロコは追い詰められていく。そしてある朝、ヒロコの胸にポッカリと穴が開き、その日の夜には椅子になってしまう。
この作品の舞台となるのは東京という大都会の片隅の何でもない場所、それでもヒロコは都会の厳しさにやられてしまう。この物語が描こうとしているのは、環境の変化がもたらす関係の変化だろうか。特に田舎から都会に出てくると人間の関係は大きく変わることがある。そしてその関係の変化はそれぞれの考え方や人格をも変えることになる。それでも人は自分なりの解決策を見つけ出し、自分の居場所を見つけるのかもしれない。
などと考えてみたが、3本の中ではイマイチかなという印象。
レオス・カラックス監督の『メルド』はマンホールから現れて通行人を襲う謎の男が主人公。最初はお金を奪ったりという程度だったが、ある時、地下で旧日本軍が残したと見られる手榴弾を見つけ、それを渋谷のまちで爆発させまくる。彼があえなく捕まると同じ言語を喋れるという弁護士がフランスからやって来る。
この作品は悪趣味さ加減がレオス・カラックス臭く、秘密の地下道や、理解できる人がほとんどいない言語というなぞめいた設定が映画の雰囲気をうまく作っている。もしかしたら東京の地下にはほとんど誰も知らない地下道があるかもしれないし、世の中にはほとんどの人が知らない言語をしゃべる人達がいるのかもしれない。そんな小さな疑惑を形にしてミステリーとして完成させている。ただ、かなり露悪的なので生理的に受け付けない人も多いだろう。
しかし、私はこの映画のこの部分こそが一番東京的なんじゃないかと思った。まあ大都市はどこでもそうだが、表面的なきらびやかさの裏には汚いものや臭いものがあり、そこに暮らす人々も俗悪で冷酷であることも多い。主人公のメルドは「糞」という名前からも、下水のマンホールから登場することからも、都市の隠された汚い部分を象徴していることは明らかであり、「東京っていうのはこう見えるんだな」という感覚も味わえた。評判は悪そうだが、個人的には好き。
ポン・ジュノ監督の『シェイキング東京』は11年間引きこもりで、人と目を合わせることもなかった男がピザ配達員の少女の足に描かれた何かにハッとなり思わず目を見つめてしまった瞬間に地震が起こり、そこから彼の生活が大きく変化するというもの。
この作品ははっきり行って舞台が東京である必要はない。日本のどこであっても物語としては成立する。東京であることの意味があるとしたら、後半で無人の街が映し出されるところだろう。アレだけ人であふれる東京から人が消えるというのは(東京を知る人には)非常にインパクトが強いだろう。「東京」というテーマでポン・ジュノが撮りたいと思ったのがその無人のシーンだったのではないかと思う。物語もそのシーンを中心に組み立てられているという印象で、そこまでの持って行き方は非常にうまい。ただ、その後が必要だったかどうかというところはちょっと疑問。他にどんな結末の付け方が良かったかとは言えないが、なんか今ひとつしっくりこなかった。
全体的には変な作品が並んでいてかなり楽しめた。日本人が見るといろいろと余計なところに目が行って楽しめないということはあるかもしれないが、「外から見たら東京ってこういうものなんだろうなぁ」という実感がなんとなくあってすっと入ってきた感じ。
2008年,フランス=日本=韓国,110分
監督: ポン・ジュノ、ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス
脚本: ポン・ジュノ、ミシェル・ゴンドリー、レオス・カラックス
撮影: カロリーヌ・シャプティエ、猪本雅三、福本淳
音楽: イ・ビョンウ、エティエンヌ・シャリー
出演: ドニ・ラヴァン、加瀬亮、大森南朋、妻夫木聡、石橋蓮司、竹中直人、蒼井優、藤谷文子、香川照之
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