TOKYO!

 田舎から出てきて東京で友達の家に居候するカップルの苦難を描いたミシェル・ゴンドリー監督の『インテリア・デザイン』、下水道に住む怪人がマンホールから現れ、東京のまちを混乱に陥れるレオス・カラックス監督の『メルド』、10年間引きこもりだった男がピザの配達員の少女の目を見つめてしまったことから起きる事態を描いたポン・ジュノ監督の『シェイキング東京』。
東京が舞台という以外共通点はないが、どの監督も目に見えるそのままの東京を描いてはいない。それぞれにストーリー的な面白さもしっかりある佳作揃い。

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夜を賭けて

2002年,日本=韓国,133分
監督:金守珍
原作:梁石日
脚本:丸山昇一
撮影:チェ・ジョンウ
音楽:朴保
出演:山本太郎、ユー・ヒョンギョン、山田純大、李麗仙、六平直政、不破万作、風吹ジュン

 1958年、大阪城近くの大阪砲兵工廠跡地の近くには在日朝鮮人のバラック街があった。そこにすむばあさんが工廠跡地から拾ってきた鉄くずが高く売れたことからバラック街の男たちが総出で立ち入り禁止の工廠跡地に夜忍び込んで鉄くずを掘り起こすことになった。鉄くずは次々と出てきて、見る見る金が儲かっていったが、警察の取り締まりも日に日に厳しくなっていった。
 在日の作家・梁石日の代表作を劇団新宿梁山泊の座長・金守珍が映画初監督作品として送り出した。韓国に大規模なロケセットを作り、韓国のスタッフも参加して作られた日韓同時公開の日韓合作映画。

 原作が手に汗握る面白さだけに、「映画も…」と期待する反面だいたい原作に映画が及ばないのが通例だという気持ちもぬぐえない。この映画は後者で、やはり原作には及ばずという感じ。同じ原作の「月はどっちに出ている」は映画も十分面白く、原作とそれほど見劣りしなかったのは、原作と映画では作風が違ったからだろう。この映画は原作を忠実に映像化しようという姿勢がある反面、映画的な見せ場としてなのか、韓国へのサービスなのか、ラブストーリーを織り交ぜたり、ちょっとばたばたしてまとまりがなくなってしまった。
 あとは、出てくる人が叫びすぎ、喧嘩しすぎ。喧嘩のほうは多分事実に近いのだろうけれど、私はあまりこういうやたらに暴力的な映画というのはどうもなじめないので、今ひとつという感じでした。
 それから、まったく何の説明もなくチェジュド(済州島)の「四三事件」なんかが出てくるのはちょっとわかりにくいのではという気もします。このあたりは日本版と韓国版で編集を変えるなどして日本人にもわかりやすいように作ってほしかったと思います。チェジュドといえば、『シュリ』でも出てきた朝鮮半島の南にある島ですね。

 それでも、躍動感やわくわくとする感じはあって、悪くないなという気はする。それはやはり原作のアイデアというか、こういう事実を掘り起こして物語にしたというところに最大の面白さがあるのだと思う。
 それから、バラック街はなかなかのもので、これがロケセットというのはそんな大規模な映画を撮れる環境にある韓国をうらやむ気持ちが生まれてきます。大規模なロケセットといえば、なんと言っても黒澤ですが、黒澤までの作りこみは望むらくもないとしても、なかなかよくできたセットなんじゃないでしょうか。贅沢言うなら、もう少しぼろっちくしてほしかった。ちょっと道が平らすぎる気がするし、家がちょっとしっかり立ちすぎている気がします。あれが本当なら結構立派なバラックだったということになってしまいますが、そうだったんだろうか?

三人三色

Digital Short Films by Three Filmmakers
2001年,韓国,92分
監督:ジャ・ジャンクー、ジョン・アコムフラー、ツァイ・ミンリャン
脚本:ジャ・ジャンクー、ジョン・アコムフラー、リサ・ハットニー、ツァイ・ミンリャン
撮影:ユー・リークウァイ、ジャ・ジャンクー、ドゥウォルド・オークマ、ツァイ・ミンリャン
音楽:ダリオ・マリネッリ

 香港のジャ・ジャンクー、イギリスのジョン・アコムフラー、台湾のツァイ・ミンリャンの3人が「デジタルの可能性」をテーマにデジタルビデオで30分の短編を作り、それをオムニバス作品にしたもの。
 ジャ・ジャンクーの『イン・パブリック』は多分中国の北部の鉄道の駅やバス停に集まる人々を淡々と撮影した作品、ジョン・アコムフラーの『デジトピア』はデジタルミックスされたラヴ・ストーリー、ツァイ・ミンリャンの『神様との対話』はデジタルビデオの機動力を生かして祭りやシャーマンを撮影した作品。
 3作品ともかなり見ごたえがあるので90分でもかなり疲れます。

 一番印象に残っているのは2番目のジョン・アコムフラーのお話なんですが、まず映像のインパクトがかなりすごくて、幻想的というか、妄想的というか、黙示録的というか、派手ではないけれど頭にはこびりつく感じ。物語のほうはすべてが電話での会話とモノローグで成り立っていて、映るものといえばとくに前半は男が一人でいるところばかり。たいした物語でもない(30分でたいした物語を作るのも大変だが)し、よくある話という感じだけれど、その映像のなんともいえない味が映画全体にも影響して、不思議な印象を受ける作品でした(だからといって特別面白いというわけではない)。
 他の2作品は一見普通のドキュメンタリーで、ツァイ・ミンリャンのものは完全に普通の(上手な)ドキュメンタリーになっているわけですが、ジャ・ジャンクーのほうは何かおかしい。というか面白い。

 ジャ・ジャンクーの『イン・パブリック』という作品は一見よくあるドキュメンタリーで、市井の人々を人が集まる駅やバス停で映した作品に見える。しかし、この作品で気になるのは映っている人たちがやたらとカメラのほうを見、カメラについてこそこそと話をすること。「台湾の有名な監督らしい」といったり、カメラに向かって髪形を整えてみたり、とにかくカメラを意識する。普通のドキュメンタリーだと、そういう場面はなるべく排除するか、あらかじめ了解を取ってあまりカメラを見ないようにしてもらう(あるいは共同することで自然にカメラを気にしなくなる)かするのだけれど、この映画はそのような努力をせずに、逆にカメラを意識させるようなショットを集めて編集している印象がある。
 最初のエピソードからして、メインの被写体となる男性はカメラを意識していないのに対して、そこにたまたま居合わせた男性はやたらとカメラのほうを見る。この対比を見せられると、メインの被写体となる男性は撮影者との了解があって、カメラを見ずに行動している(ある種の演技をしている)のだと思わずにはいられない。他の場面でも何人かの人は一度カメラを見つめ、それを了解した上で、そのあとは自然になるべくカメラを意識しないように行動しているかのように見えることがある。
 これらのことがどういうことを意味するのかと考えてみると、この『イン・パブリック』という映画は、イン・パブリックで、つまり公衆の中でカメラを回し、それを切り取った映画などではなくて、イン・パブリックにあるカメラがどのような存在であるのか、つまり公衆の中でカメラを回す行為というのがどういう意味を持つのかということを描こうとしている映画であると考えることができる。
 それはつまりドキュメンタリー映画を作る過程というものを浮き彫りにし、それが必ずしも日常を切り取ったものではないということ、カメラが存在するということがすでに人々を日常から切り離しているということ、カメラの前で自然に振舞っているように見える人々もカメラがあることに気付いている限りある種の演技をしていることを明らかにしている。それはまさにフィクションとドキュメンタリーの間について語ることであり、その観点から言うとこの映画は非常に意義深い映画であるといえる。
 マルセイユ国際ドキュメンタリー映画祭がそのような意味でこの映画をグランプリに選んだのだとしたら、それはとても正当なことだと思う。

反則王

THE FOUL KING
2000年,韓国,112分
監督:キム・ジウン
脚本:キム・ジウン
撮影:ホン・ギョンピョ
出演:ソン・ガンホ、チャン・ジニョン、パク・サンミョン、チャン・ハンソン

 銀行に勤めるデホは今日も朝礼に遅刻し、しかも契約を一つも取れないことを副支店長にどやされる。その日、デホはトイレで出会った副支店長にいつものようにヘッドロックをかけられた。その夜、デホはたまたま通りかかったプロレス団体にヘッドロックのはず仕方を教えてもらおうと尋ねてみた。
 シリアスな役の多いソン・ガンホがコメディに主演。覆面レスラーというアイデアとソン・ガンホだけで持っているといっていいかもしれない映画。でも、結構ドツボにはまる人もいるかもしれないと思う。

 まあ、とにかくマスクをつけた男というビジュアルありきの映画でしょうか。街中でスーツにマスク。このミスマッチ感はとてもいい。しかし、その割には、マスクの画が多用されるわけでもない。映画の内容としては可もなく不可もなく。言いたいことはわかるし、織り込みたいネタのふりもなかなかなのだけれど、物語の重点というか、プロットの核のようなものがない。ソン・ガンホが演じるデホという男が中心となるものの、そこから出てくる物語はあまりに散漫。いろいろな物語が混在すること事態は悪くないけれど、そのそれぞれの物語の間のつながりがあまりに希薄。それが映画全体の冗長さを生んでしまったのではないかと思われます。コメディ映画はやはりテンポが命。テンポよくやってくれないとネタも生きないということで。
 それを補うのはソン・ガンホ。この人はかなりいい役者らしい。「どこが?」といわれると困りますが、キャラクターの作り方が自然。この映画のデホはどうにも情けない男なのだけれど、その情けなさをしっかりと出しながら、決して暗くはならない。そのあたりがうまいといっていいのではないでしょうか?
 あと、『アタック・ザ・ガス・ステーション』を見たときにも思ったことですが、韓国映画の音楽はかなりいい。いわゆる洋楽の要素を取り入れながら、しかし今の日本の音楽とも違う太い感じの曲を作る。映画はどうにもならなかった『LIES』ですら、音楽はなかなかのものでした。ただ耳新しいというだけのことかもしれませんが、予告編に流れる音楽を聴いて、なんとなく見に行ってみたくなるのでした。

アタック・ザ・ガスステーション!

Attack the Gas Station
1999年,韓国,108分
監督:キム・サンジン
脚本:パク・チョンウ
撮影:チェ・ジョンウ
音楽:ソン・ムヒョン
出演:イ・ソンジェ、ユ・オソン、カン・ソンジン、ユ・ジテ

 ガソリン・スタンドを襲う4人の若者。店を破壊し、金を奪った彼らはその数日後「退屈だから」という理由で再び同じスタンドを襲う。しかし、そこに金はなく、金を持ってこさせるために店員たちを監禁するのだが、その間にも客はやってくる。客からもらった金をそのままいただこうと考えた彼らは接客を始めるのだが…
 韓国で大ヒットしたアクション・コメディ。わかりやすい展開とわかりやすい笑いが安心して見られます。

 B級な作品かと思ったら、意外にちゃんとした作品で、はちゃめちゃなコメディというよりは、現代の若者を描いたまともなドラマという感じ。だからヒットしたのかな、という気がします。
 しかし、個人的には最初の勢いを続けて、最後まではちゃめちゃなコメディでいってほしかった。韓国の映画を見ていると、結末が甘っちょろいというか、結局いいお話で終わっていくものが多い。突き放すような終わりかたや救いようのない終わり方をする映画がなかなかない。
 この映画も既成の価値観をぶち破るような若者っぽく最初は登場するのに、ふたを開けてみれば、価値観の枠にはまってしまうような人たち。価値観を根本から覆すようなことはしない人たちである。別に検閲があるわけではないと思うので、そういう映画が受け入れられるような雰囲気が醸成されているということなのだろうし、それが悪いわけではないけれど、何かを壊していく映画が好きな立場からはなんとなく物足りない気がしてしまう。
 でも、コメディとしてはなかなかいいギャグもあったので、良しとします。キャラとしては「無鉄砲」がかなりいいキャラで、「連想ゲーム」あたりはかなりよろしいですね。後は地味ながら4人のうち絵を書いている人(「リメンバー・ミー」に出ていた)もなかなかいいですね。後は社長の家族はどうなってるのかってのもあり。

LIES/嘘

Lies
1999年,韓国,108分
監督:チャン・ソヌ
原作:チャン・ジョンイル
脚本:チャン・ソヌ
撮影:キム・ウヒョン
音楽:タル・パラン
出演:キム・テヨン、イ・サンヒョン

 卒業を間近に控えた女子高生のYは親友のウリとウリが大好きな彫刻家Jとの仲を取りもとうとJに電話をしてみるのだが、電話をしているうちにY自身がJのとりこなってしまう。落ち合ってそのままホテルへと直行したYとJは危険な倒錯愛に落ち込んでゆく…
 過激な内容で賛否両論話題を呼んだ小説の映画化。映画もまたその過激さから話題を呼んだが、衝撃的なほど性描写が過激なわけではない。

 最初の30分はひどいもの。ドキュメンタリーっぽくビデオで撮られたの出演者へのインタビュー。安物のAVまがいのラブ・シーン。手ぶれやぼかしも鼻につく。たとえば、JがYを駅で待つシーン、ショットはJの主観なのだけれど、改札口から出てくるYの姿にピントはあっていない。そのピンボケの状態はYがJのすぐそばに来るまでつづく。この撮り方に何の意味があるのか、どんな効果があるのか? 何かの効果を求めて作っているのだとしたらあまりに的外れではないかと思う。
 内容もたいしてショッキングではなく、ただのSM好きのおやじの話でしかないよとおもう。韓国においてセンセーショナルで、パイオニアであったとしても、それは韓国という国の国内事情によるものに過ぎず、映画という世界においてはひとつも新しいものはない。
 そんな新しさもないところで、何か救いを求めるとするならば、二人が逃避行をする部分での救いのなさだろうか? しかしそれも最後には周到に救われてしまうことで、意味を奪われてしまう。ただひたすら落ち行く二人を描ききれば、二人は救われないにしても映画としては救われるものになったかもしれないと思う。
 結局のところこれはポルノに過ぎないということ。それもいわゆる「ポルノ」に。きのうのアナベル・チョンのような思想のあるポルノではない単なるポルノ。しかし、ポルノであるものが一般映画として作られたということが韓国では意味のあることなのかもしれない。ひとつの壁というか規制を崩すという意味では意味があったのかもしれないと思う。この映画によって崩された壁を越えた作品の中からいいものが出てくれば、ちょっとは救われるのかしら、とも思う。

JSA

JSA: Joint Security Area
2000年,韓国,110分
監督:パク・チャヌク
原作:パク・サンヨン
脚本:キム・ヒョンソク、チョン・ソンサン、イ・ムヨン、パク・チャヌク
撮影:キム・ソンボク
音楽:キム・グァンソク
出演:ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、イ・ヨシエ、キム・テウ、シム・ハギュン

 1999年10月28日、38度線上、板門店の共同警備区域(JSA)の北側の監視小屋で起こった銃撃事件。この事件で二人の北朝鮮兵が死亡した。この事件の解明のため中立国監督委員会は韓国系スイス人将校ソフィーを捜査官として派遣した。彼女がたどり着いた真実は予想もしないものだった…
 韓国で「シュリ」の記録を塗り替える大ヒットとなったサスペンスドラマ。日本人から見ても「韓国らしい」映画に見えます。

 結局のところ朝鮮半島の関係というものが分かっていないものとしては、感心してしまいます。これはつまり韓国人の願望。こんな風になってそれこそ「民族統一」がなされればいいなぁという願望が作らせた映画ということでしょう。なので、中立国監督委員会というのもソフィーさんもほんのおまけにすぎず、おそらく1人美女が欲しかったというだけのことのような気がします。
 映画的な工夫という面では特段書くべきこともないので、ドラマに関することに終始したいと思います。
 さて、今韓国人の願望と書いたとおり、これは韓国人の願望でしかなく、北朝鮮人の願望ではない。北朝鮮の兵は南の文化に憧れを抱くけれど、南の兵士が来たの文化に憧れを描くことはない。結局「南」のほうがいいということを言っているに過ぎない気がします。おそらく北朝鮮で同じような映画を作ったとしたら、逆に「南」の兵士が「北」の文化やものにあこがれる様を描くでしょう。そのあたりがこの映画が「願望」にすぎないことを示しています。「願望」を超えて、統一の礎になることはありえないということ。つまり娯楽作品に過ぎないということ。
 で、娯楽作品として描くなら、ソフィーさんは要らなかったかもしれない、と思います。最初の銃弾がドアを貫通し、中の明かりが見えるシーンはなかなかよく、それだけでこの事件が何だったのかを解明する映画なのだろうと予想はつきます。それだったら、捜査などというまどろっこしい手続きをとらず、事件の全貌が明らかにならないまま時間を遡って、展開していって欲しかったななどとも思います。その方が緊迫感がますような気がします。

フラワー・アイランド

Flower Island
2001年,韓国,126分
監督:ソン・イルゴン
脚本:ソン・イルゴン
撮影:キム・ミョンジョン
音楽:ノ・ヨンシム
出演:ソ・ジュヒ、イム・ユジン、キム・ヘナ

 映画は女性のモノローグから始まる。マチュピチュで神秘の力によって美しい声を得たという話をする。彼女を含めた心にキズを抱えた3人の女性達。その3人の女性達が偶然に出会い、「花島」という南の島に向かって旅をする。
 とにかく不思議な雰囲気を持つ映画。映像も、物語も、個々のエピソードもなんだか不思議。監督はこれが長編デビュー作となるソン・イルゴン。何でもカンヌ映画祭の短編コンペで賞をとっているらしい。

 不思議不思議。映画は不思議なくらいが面白いのでいいのですが、それにしても不思議。一番不思議なのは多用されるピントをずらした画面。ピントがボケたフレームに人が入ってきてピントがあったり、画面内でピントを送ったり(つまりひとつのものから別のものにピントを動かす)することは他の映画でもよく見るし、この映画でも最終的には何かにピントが合うのだけれど、ピントが合うまでの時間が異常に長い。最初はそのピンぼけ画面に疲れるけれど、人間なんでもなれるもので、その内気にならなくなってくるから不思議。確かにしっかりピントがあってはっきり見えるより、ピントがずれてぼんやりしていた方が美しく見える場合もあり、この映画でもそれを感じさせられはするけれど、ここまでこだわる理由はなんなのかとても不思議。
 映像の不思議さはそんなところとしても、物語も不思議。個人的には不思議な話は好きなのですが、残念なのはなんとなくファンタジックな方向に行ってしまったこと。不思議なものを不思議なものとして描くのではなくて、普通に描いているんだけど「よく考えてみると不思議だよね」みたいなものが好き。マジックリアリズムとでも言うようなもの。オクナムが「天使のともだち」といったとき、「天使のともだち?」と思ったけれど、それは特に不思議なことではなく当たり前のことのように流れていく。そんな感じ。そんな感じがもっと続いていればとてもよかったと思います。
 しかし、全体を通してみてみれば、なんとなくわけがわかったような気もしてくる。あるいは解釈を立ててみることはできる。ネタばれになってしまうので全部は言いませんが、途中で出てきた時点では理解できなかったシーンたちの始末がついたとき、何かがわかった気がしたのです。その分かってしまった気になってしまうのもあまり居心地がよくない。わけのわからない映画はわけのわからないまま、不思議さを残したままとどまっていてくれた方が気持ちよい。もっと不思議なままで終わってしまうことがたくさんあってもよかった。バスの運転手のようにわけのわからないまま物語から去っていってしまう人ばかりがたくさんいてもよかった。そう思います。

リメンバー・ミー

Ditto
2000年,韓国,111分
監督:キム・ジョングォン
脚本:イ・ドンゴン、イム・テギュン
撮影:チョン・グァンソク
音楽:イ・ウッキョン
出演:キム・ハヌル、ユ・ジテ、ハ・ジウォン

 70年代の韓国ソウル。新羅大学に通うソウンは大学の先輩トンヒに想いを寄せていた。そんなソウンがひょんなことから手に入れたハム無線機を皆既月食の日につけてみると、知らない人から通信が。その日は驚いて切ってしまったソウンだったが、次の日話してみるとその男も同じ大学に通うと知り、無線機の教本を借りるため会う約束をするが…
 韓国で大ヒットとなったラブ・ストーリー。なんだかなつかしさも感じさせる淡い物語。

  冒頭を見たときは、「これはやっちゃった」と思いました。家庭用編集機でもできそうなセピア効果、そしてありがちなピアノのBGM。嘘のようにうぶな所作をする女子大生。そして、皆既日食の夜空のちゃちさ。
 しかし、話が進むに連れ、そうでもないと分かる。物語自体はたいしたことがなく、誰もが発想できそうな(現に「オーロラの彼方に」って言う映画もあった)ものですが、最近時空ものに敏感な私としてはちょっと気を惹かれてしまうわけです。しかしそれは置いておいて、まずは映画の話。映画としては平均点のストレートなラブストーリーで、登場人物のキャラクターがはっきりとしているのがとてもよい。問題はBGMのこっちが恥ずかしくなるほどのストレートさと映像の作りの安さでしょうか。主役のキム・ハルヌがいかにも70年代らしい顔(どんな顔?)だったのがなんだかつぼにはまりました。ちょっと松たか子似。
 という映画ですが、問題の時空の問題は、実はインのガールフレンドのヒョンジがそのことにさらっと触れていて「同じ次元にいる」とか何とか言っているんですが、これは全くそのとおりで、この映画の中のソウンとインは二人ともまっすぐな時間軸上にいて、その四次元空間から抜け出すことをしない。だから物語とは破綻しない。つまり、インがアクセスした過去は自分にとってのストレートな過去で、現在と矛盾したことをしないからそのベクトルが変化することはなく(あるいはそもそも変化した未来にいるので)、ソウンが異なった未来に向かうことはないわけです。しっかりできていますねハイ。

 注意! ここからパーフェクトネタばれ!!!

 もし、インがトンヒとソンミのことをいわなかったとしたならば、未来は変わったかもしれない。しかし、その未来にはインは存在しないわけだから、インがいまいる時点とは異なるものなわけです。5次元平面の別の点にいる。つまり、どこかでベクトルが変化して、異なった四次元空間が出現したというわけ。しかし、だからといって今ある四次元空間がなくなるというわけではなく、インにとっては一つしかない過去として存在するし、ソンウにとってはありうべき未来として存在していたものということ。あるいは、ソンウがインにもっと前に会って、未来のことを予言していたとしたら、そこでまたベクトルは別の方向に進み、異なった四次元空間が出現していたのでしょう。様々なありうべき可能性の中で、この物語では閉じたひとつの四次元空間だけをつかまえることを選択したということでしょう。その方が物語が混乱せず、すっきりしますからね。そしてヒョンジのほとんど理解できないひとことのセリフにメッセージをこめたということでしょう。意外とやるねこの監督。インとソンウは会っても会わなくてもよかったけど、会うことで本当に物語が閉じたという気がしてよかったようにも思えます。

シュリ

Swiri
1999年,韓国,124分
監督:カン・ジェギ
脚本:カン・ジェギ
撮影:キム・ソンボク
音楽:イ・ドンジュン
出演:ハン・ソッキュ、キム・ユンジン、チェ・ミンシク、ソン・ガンホ

 北朝鮮の諜報員養成所、一人の女性が過激な訓練を終え任務についた。女の名はイ・バンヒ。「南」に潜入した彼女は数々の暗殺と爆破事件に関与した。そのイ・バンヒを追う南の二人の諜報部員、ユ・ジョンウォンとパク・ムーヨン。情報提供を申し出た武器密売人に二人が会いに行くと、二人の目の前で密売人が狙撃され、殺された。 ハリウッド顔負けのアクション大作。南北の対立という深刻な問題を扱っているのかと思えばそういうわけでもなく、ひたすらアクション。しかしアクションシーンは迫力あり。 

 見る前の情報で、韓国映画で「北朝鮮のスパイが出てきて」とか、「済州島が出てくる」とか予備知識があったため、完全に単純なアクション映画で驚き。しかし正解。社会派映画にしてしまったら楽しめなくなってしまうと思う。
 筋も単純、からくりも簡単に気づく。ラストの爆破を止めるところも少々作り物っぽい。しかし、アクション(というか、爆破とか)は大迫力だし、惜しげもなくガンガン打ちまくるのも楽しい。一番すきなのは、CTX爆弾。そのヴィジュアルがすき。透明の液体の中のオレンジ色の玉。
 これは余談ですが、この映画深読みするするなら、ひとつ、二人組のイ・バンヒの恋人じゃないほう(名前忘れてしまった)は絶対に相棒のことが好き。ホモセクシュアル的に。3人で食事をしているシーンなんかはいじらしい。そして、好きだからこそ、相手の恋人が疑わしいことに最初に気づく。深読みすぎか…?でもそんな気がするな。皆さんはそんなことは思いませんでしたか?