ショーンは車椅子生活の親友ダズとその息子ダニエルと暮らしている。ダズの余命がもう少ないことを知ったショーンは2人の幼なじみのケイティに連絡を取ろうとするが、ショーンとケイティの間にはわだかまりがあり、なかなか思い切ることができない。そんな中で、ショーンは3人で過ごしたある夏のことを思い出す。
イギリスの田舎の労働者階級の日常。ごく普通の人達の極普通の生活を描いた佳作。

 イギリスのいわゆる労働者階級を描いた映画というのはたくさんあって、面白いものも多い。そんな中でも、なんといっても有名なのは『フル・モンティ』で、この作品はヒットもしたし、ほんとうに掛け値なしに面白い。そして、その中でもロバート・カーライルの存在感が、イギリスの労働者といえばロバート・カーライルみたいなイメージを植えつけたけれど、意外とそういう映画にたくさん出ているわけではなく、まさにというキャラクターはこの映画が久しぶりのような気がする。

そんな労働者映画であるこの映画のどこがいいのかといえば、それは何も起こらないことだろう。ショーンとダズははたから見れば哀れな人生を送ってきた。ショーンは識字障害か学習障害かわからないけれど、読み書きが苦手で辛い人生を送ってきた。ダズは酒が原因で体を壊し、余命いくばくもない。そんな2人だがとくに世の中に恨みつらみを言うこともなく、かと言って一生懸命頑張るわけでもなく、それなりに生きている。

そんな2人の幼なじみのケイティはまともな人生を送っているらしい。ショーンは3人で過ごしたひと夏のことをたびたび思い出す。家の近くの池で過ごした夏の日を。それは彼にとってある意味で人生の最高地点だったのかもしれない。時にその思い出は彼の現実に侵食しても来る。しかし、かと言って彼はそれにすがって生きているわけではない。大切にはしているけれど過去はあくまで過去なのだ。

誰にとっても人生そんなもの。映画のように劇的なことが起きるのなんてあって人生に一度か二度だし、そんな劇的なことは別に起きなくたっていい。それでもその人にとっては人生において重要な出来事があり、それが良くも悪くもその人の人生を左右する。いい悪いではなくて人生はそういうものなのだ。

イギリスの労働者階級なんていうと、貧乏で悲惨な人々という印象があるけれど、決してそんなことはない。彼らも私達も幸せを経験すれば不幸も経験する、同じ人生を送っているのだ。

そんな映画を観て何を得られるかというと、特に何も得られない。でも、勇気をもらうと言うんじゃないけれど、人の営みから得られるものはある。それが、友情の大切さなのか、人の温かみなのか、違いを受け入れる心なのか、それは人それぞれだろうが、なにか引っかかるものがあるのではないか。

私が引っかかったのは、ショーンの夢が現実へと侵食してくるシーンだ。このシーンはたびたびショーンが回想する若かりし日の3人で過ごした夏の日の記憶が、寝ているショーンに現実として覆いかぶさってくるというシーンだ。もちろんそれは夢だ。しかしそこには完全に夢だとは言い切れないリアリティもあったということが表現されている。理性的に考えれば夢でしか無いけれど、感覚的には夢とは思えない、そんな夢を見ることが誰しもあると思う。このシーンはそんな夢の存在を思い出させてくれる。

人というのはそういう理性的には語れない「もの」でもできている。それを表現しているところに私は面白さを感じた。そこが劇的では無いのにこの映画が面白く感じられるところだったのだ。

DATA
2008年,イギリス,83分
監督: ケニー・グレナーン
脚本: ヒュー・エリス
撮影: トニー・スレイター=リン
音楽: スティーヴン・マッキーオン
出演: ケイト・ディッキー、ジュリア・フォード、スティーヴ・エヴェッツ、マイケル・ソーチャ、レイチェル・ブレイク、ロバート・カーライル

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