マルタのやさしい刺繍

老人たちの活躍が心温まりスカッともするスイス映画の佳作

Die Herbstzeitlosen
2006年,スイス,89分
監督:ベティナ・オベルリ
原案:ベティナ・オベルリ
脚本:サビーヌ・ポッホハンマー
撮影:ステファン・クティ
音楽:リュック・ツィマーマン
出演:シュテファニー・グラーザー、ハイジ・マリア・グレスナー、アンネマリー・デューリンガー、モニカ・グブザー、ハンスペーター・ミュラー=ドロサート

 スイスの山間の小さな村、夫に先立たれ生きる意欲を失ってしまった80歳のマルタは村の合唱団の旗の修復を頼まれたことをきっかけにランジェリーショップを開くという若い頃の夢を思い出す。そして親友のリージの協力を得て開店準備を進めるが、村人達はマルタを破廉恥と後ろ指差すようになる…
 スイスからやってきた老人を主役にした佳作。ちょっと紋切り型過ぎる気もするが、心温まる雰囲気を持った作品。

 80歳で夫に先立たれ生きる意味を失った老女が若い頃の夢を思い出して活力を取り戻すという話。その夢がランジェリーショップというのが肝で、保守的な村人達からは白い目で見られてしまうという話。

 主人公のマルタとその友だちのばあちゃん達が対立するのはその息子達、息子達は40代くらいの働き盛りで親を役に立たない年寄りとみなし、自分たちの価値観を押し付けることを当然と考えている。まあそれはわかるのだが、この村人達はあまりに保守的過ぎ、自分勝手過ぎる。マルタの息子で牧師のヴァルターは聖書勉強会の会場にするためにマルタの店からランジェリーを撤去し、捨ててしまったりする。さすがにそこまではやらんだろう…

 でもまあそれによって老人たちの活力がより強調され、映画としてはわかりやすくなり、観客は老人達を応援したくなることは確かだろう。子供世代にバカにされる年寄り達がその鼻を明かすという物語は本当にスカッとする。

 老人を主役にした映画というのは最近では子供や動物ものと同様に簡単に面白い作品になるという気がする。老人に厳しい世の中になって、老人が尊敬の対象というよりは社会のお荷物、世話しなければならない対象となったことで、弱者が強者をやっつけるという物語が可能になったからだろう。

 老人は動きが鈍かったりして弱弱しくはあるけれど文字通りの老練さと歳の功があって若者をギャフンといわせられる。これはある意味、現代の勧善懲悪の一つのパターンになっているのではないか。だから、そのパターンは予定調和と感じられるのだけれど、まあ予定調和の安心して見られる物語というのも気晴らしにはいいものだ。

 贅沢を言うならば、マルタのランジェリーに対するこだわりやその製作過程がもっと細かく描かれているとよかった。現代の機械によるものとマルタの手仕事によるものの違い、彼女のデザインにどのようなものがあるか、重要な小道具である民族衣装の柄をポイントに入れたランジェリーの詳細など、そういった細部が細かく描かれているとわかり安すぎる人物像を補うリアリティが生まれたのではないだろうか。

ヘカテ

Hecate 
1982年,スイス=フランス,108分
監督:ダニエル・シュミット
原作:ポール・モーラン
脚本:パスカル・ジャルダン、ダニエル・シュミット
撮影:レナード・ベルタ
音楽:カルロス・ダレッシオ
出演:ベルナール・ジロドー、ローレン・ハットン、ジャン・ブイーズ、ジャン=ピエール・カルフォン

 北アフリカに赴任したフランスの外交官ロシュールはパーティーでであったアメリカ女性クロチルダと恋に落ちる。純粋な恋愛映画として始まるこの映画、しかしクロチルダの謎めいた行動がロシュールを混乱させ、徐々にサスペンスの要素が強まって行く。
 徐々に緊迫感を増す展開もおもしろいが、この作品で最も素晴らしいのはその構図。フレームによって切り取られた一瞬一瞬が一葉の絵画のように美しい構図を構成する。微妙な色合い、光の加減、フォーカスを長くして作り出す不思議な構図などなど。その美しいという言葉では言い表せない映像を見ているだけでも飽きることはない。

 そう、構図が美しい。無理に一言で表現してしまえばそういうことなのだが、決してそれだけでこの映画の映像のすばらしさが表現できるわけではない。重要なのは、その一瞬の構図が美しいことではなく、その変化する構図が緊張感を保ちながら美しくありつづけることだ。
 たとえば、山の上から、ロシュールと上司の外交官が下を見下ろしている場面。カメラは彼等二人の背中を映しながら右から左へゆっくりとパンして行く。その時、正面にひとつの山並みが見えるのだが、その山が正面にやってきたときの構図にはっと心を打たれる。もちろんその時、遠くにあるはずの山と近くにいるはずの二人とに同時にピントがあっていることも大事な要素だ。そこでは映画における遠近法が無視され、山と人は同じ大きさのものに見える。
 あるいは、階段にロシュールとクロチルダがうずくまっているシーン。最初、赤と緑の微妙な色合いで、左上へと昇って行く階段と、右上に青い窓が映される。その構図だけでもちろん驚くほど美しいのだが、まず、右上の窓のところロシュールが動く。そこで観衆は(少なくとも私は)そこに人間がいることに気づく。そしてさらに、階段のところにはクロチルダがいることに気づく。二人はのそのそと動き、構図を変化させるのだけれど、果たして構図は美しいままだ。
 もうひとつ、面白いのは、30年代くらいのハリウッドの模倣。私が気づいたのは、ある場面で二人がキスする時、直接映すのではなく、影を映す。これはいわゆるクラッシックなハリウッド映画を見ているとたびたび用いられる手法だ。他にも、あっと思ったシーンが二つほどあったけれど、ちょっと思い出せません。おそらくシュミットは黄金期のハリウッド映画にかなりの愛着を持った監督なのだろう。
 非常に、玄人受けする映画だと思いました。