暗殺の森

Il Conformista
1970年,イタリア=フランス=西ドイツ,107分
監督:ベルナルド・ベルトリッチ
原作:アルベルト・モラヴィア
脚本:ベルナルド・ベルトリッチ
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン、ドミニク・サンダ、ステファニア・サンドレッリ、ピエール・クレマンティ

 時はムッソリーニ時代、イタリアの若い哲学教師マルチェロ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は自身の心の傷からファシズムに走り、秘密工作員となることを志願する。そして、パリ亡命中の恩師である教授を密偵するためにパリへ向かうことになるのだが……
 政治と愛とが交錯し、官能的に当時の社会の矛盾を抉り出した作品。
 前半部分は時間が交錯し、現在の時間と、回想とが絡み合って進む。「体制順応主義者(原題)」であるマルチェロの心の歪みが美しい映像によって浮き彫りにされてゆくさまが素晴らしい。

 何とはなしに見ていたら、1970年の作品というので驚いた。映像が美しく、フレームの切り方も洗練されている。
 この映画はマルチェロの内的独白だが、実際に、彼の言葉によって説明されることは何もない。ただ彼の行動と、彼の回想とをモンタージュすることによって、彼の心理を観衆に解釈させる。したがって、この映画のすべてのシーンは彼の目を通して見られたものであるべきだし、実際にそうであったと思う。特に、印象的だったのは、暗殺のシーンでのアンナの唸りとも悲鳴ともつかない叫び。マルチェロの座る車の窓をたたきながら、言葉にならない叫びをあげつづける。それは、あのような極限状態の人間は実際には(普通の映画のように)助けを求める言葉を投げかけたりはせず、無意味な叫び声をあげるのだという端的な事実を主張している面もあるかもしれない。しかし他方で、その声は彼女の助けに耳を貸すわけにはいかないマルチェロの精神が彼女の言葉を聞くまいとして作り出した捻じ曲げられた叫びであるかもしれないのだ。彼の歪んだ心から見た世界というものを歪んだままで提示する方法。小説である原作を映像化する際に、そのような手法を選択することに決めたベルトリッチの発想力は素晴らしい。 

父/パードレ・パドローネ

Padre Padrone 
1977年,イタリア,113分
監督:パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ
原作:カヴィノ・レッダ
脚本:パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ
撮影:マリオ・マシーニ
音楽:エジスト・マッキ
出演:オメロ・アントヌッティ、サヴェリオ・マルコーネ、ナンニ・モレッティ

 イタリア南部の島サルディニア、授業中突然父に教室から連れ出された少年カビーノは人里はなれた山小屋にこもって羊解になる修行をさせられる。人との接触もなく育った彼がいかに社会とそして父と関わっていくのか?
 グッドモーニング・バビロンと並んでタヴィアーニ兄弟の代表作とされる作品。サルディニアの荒涼とした風景のえもいわれぬ美しさと父と子という普遍的なテーマを描ききった物語が心を打つ。 

 この物語の最大の主題はもちろん父と息子の関係だけれど、この映画でもうひとつ重要な要素となっているのは「音」だろう。カビーノは音に対する感覚が鋭い。軍楽隊のアコーディオンに魅せられて以来音楽に対して執着をみせているし、映画の中でたびたび背景音として入り込んで来るざわめきはカビーノの捉えた世界の音であるのだろう。厳しい冬の終わりを告げる鳥の声、そして方言と言語学、ひたすら音にこだわってゆく主人公は何から逃れようとしていたのか?単純に父からだろうか?
 物語はそれほど単純ではなく、彼の島から逃げ出したいという気持ちは必ずしも父から逃げだしたいという気持ちとはイコールではなかったような気がする。荒涼な風景の中にも豊かな音の世界があり、厳しく権威的な父の中にもやさしい心がある。最後にカビートの頭をなでようとして止めた父の手に、この物語は収斂されていくのだろう。 
 そのように考えると、父親役のオメロ・アントヌッティの魅力があってはじめて成り立ちえた映画なのかもしれない。