アモーレス・ペロス

Amores Perros
1999年,メキシコ,153分
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
脚本:ギジェルモ・アリアガ・ホルダン
撮影:ロドリゴ・ブリエト
音楽:グスターボ・サンタオラヤ
出演:エミリオ・エチェバリア、ガエル・ガルシア・ベルナル、ゴヤ・トレド、バネッサ・バウチェ

 メキシコのスラムで母と兄と兄嫁と暮らすオクタビオは兄の兄嫁に対する暴力に腹を立てていた。そんなオクタビオの犬コフィが闘犬で稼ぐチンピラ・ハロチョの犬を噛み殺してしまった。それに重なるように挿入される犬を連れた老人による殺人は後に続く断章へのプロローグ。
 重なり合う3つの断章からなる作品。血と暴力にあふれているが、そこにあるのはメキシコシティという都市に住む人々のなまの人生であるのだろう。

 最初の断章がすごくいい。何者かに追われ、怪我をした犬を連れてくるまで逃げ回るという1つの場面から始まり、そこに至るまでを過去の時点から描きなおすという技法事態は新しいものではないが、観客の興味をひきつけるひとつの方法としては非常に効果的である。
 そして、そのシーンの映像がエネルギッシュであればなおさらである。手持ちカメラのクローズアップで展開されるスピード感が観客の期待をあおる。そしてその期待は、殺された男から流れた血が鉄板で煮えたぎり、血に飢えた闘犬が相手の犬の血を口から滴らせるのにあおられる。
 そんなシーンの連続に興奮させられたわれわれは闘犬のよう血を求め、血なまぐさいシーンが続くのを期待する。あるいは目をそむける。最初の断章はあくまでも暴力的で血なまぐさく進む。
 この血なまぐささは2つ目の断章でやわらげられるが、これは絡み合う断章のひとつというよりは、1つめから3つめに続く物語から派生したひとつの余話であるだろう。しかしもちろん共通する要素もある。ひとつは題名からも分かる犬であり、愛である。そして、この断章が加わることによって見えてくることもある。それはメキシコあるいはメキシコシティの全体像である。この3つの断章が存在することによってメキシコシティという町の多様性が見えてくる。そして、違う世界に住んでいる人であってもどこかで関わりあわざるを得ないとうことが。
 この映画で描かれるメキシコシティは「男」だと思う。それはラテン・アメリカに付き纏うイメージである「マチョ」でもある。最初の2つの断章に登場する男達は皆怒りっぽく、攻撃的だ。やさしそうに見えたオクタビオもダニエルも最後にはその攻撃的な正確をあらわにする。それに対してスサナとバレリアの2人が閉じ込められた存在であるというのは象徴的だ。女を支配しようとする男、そんな構図があからさまに浮かび上がってくる。そんな中ひとり異なった相貌を見せるエル・チーボ。私は彼をそのマチスモをひとつ乗り越えた存在と見る。女性を支配しようということをやめ、それよりも自分を支配することを目指す。かれもまた攻撃的な正確をあらわにするが、その攻撃は男にしか向けられない。マチスモを発揮して革命へ身を投じた彼がそこから戻ってきてマチスモを乗り越えた。そのように見える。しかし彼の娘への過剰な愛はまた別のマチスモを象徴しているのではないかという気もしないでもない。