シャイニング
The Shining
1980年,イギリス,119分
監督:スタンリー・キューブリック
原作:スティーヴン・キング
脚本:スタンリー・キューブリック、ダイアン・ジョンソン
撮影:ジョン・オルコット
音楽:ベラ・バートック、ウェンディ・カーロス
出演:ジャック・ニコルソン、シェリー・デュヴァル、ダニー・ロイド
小説家のジャックはコロラドの山の中にあるホテルが冬期閉鎖される間の管理人として仕事を得る。以前孤独感に耐えられず、家族を殺し、自分も自殺した管理者もいるという話を聞いても動じずジャックは仕事を請けたが、予知能力のある息子のダニーは血が川のように流れ、二人の少女がたっているというホテルの夢を見る…
キューブリックがスティーヴン・キングの原作からは離れ、ホラーという形式を借りて、独自の世界観を表現した作品。全体的なメッセージを読み取ることは難しいが、観客に何かを感じさせる力強さを持っている。
ジャック・ニコルソンの顔は常に怖い。それだけで十分にこの映画は怖いのだけれど、わたしの頭にこびりついていたのは「REDRUM」という文字だった。映画の中で果たす役割は決して高くないけれど、意味もわからない赤い文字が何度もフラッシュバックのように映りこむことの恐怖、その恐怖がはじめてみた10数年前に感じた恐怖であったことを今見て思い出す。
それはそれとして、この映画はかなり完成度が高い映画だ。キューブリックらしく、『2001年』のように難解で、全体としてそのメッセージを捉えることは難しい。しかし、映画としての世界を捉えることはできる。ジャックの幻影ともとらえられるはずの彼ら(たとえば舞踏会のシーン)が決して幻影ではないということ、あるいは少なくともジャックにとっては幻影ではないということ。それは最初に、ジャックがゴールド・ルームで酒を飲んでるときにウェンディが入ってくると、そこはただのがらんとした部屋であるということからもわかる。ジャックの、ダニーの、そしてウェンディのそれぞれにとっての非現実的世界が存在し、それが物理的な存在でもあるということは、明らかだ。そのそれぞれにとって幻影ではない物理的存在であるという点が他のホラー映画とは違うところだ。ゴーストを扱うホラー映画はそのゴーストが全員にとって幻影でないことによって物語が成立するはずだ。それぞれにとってしか現実ではないゴーストは単なる妄想に過ぎず、恐ろしくなどない。この映画はそれぞれにとって現実でしかない(確実に現実であることは重要だけれど)にもかかわらず、そのゴーストが直接的な恐怖とならないことで、恐怖映画として成立しうることになる。その複雑な恐怖の想像の仕方がキューブリックオリジナルのものだ(原作の内容は忘れましたが、そんな内容ではなかった気がする)。
そしてその幻影(幻影ではないのだけれど、便宜上そういっておきます)のある場所(あるいは時間)がどこなのか、それがこの映画の鍵になるのだと思う。ダニーはそもそもトニーという幻影があり、その時間は未来に設定されている。ジャックは過去だ、舞踏会の行われていた1920年代。ウェンディの場合はいつなのだろうか? そしてどこなのだろうか? それはこの映画からはわからない。映画でもっとも問題となるのはジャックの1920年代(具体的には1921年だか、1923年だか)という幻影。ここにキューブリックはこの映画のホラー映画を越えた部分をこめているはずだ。ちょっと難しくて読み取りきれませんでしたが、その時代を借りておそらく現代に対する何らかの批判的なメッセージを述べているのだと思います。そのヒントは前任の管理人が吐く「ニガー」という言葉、そしてディックの存在辺りでしょう。そして前任の管理人がジャックと会話しているシーンの最後に停止しているように見えること、そしてラスト。その辺りからなんとなく滲み出してくる「意味」を味わいつつ、根本的にはやはり恐怖映画であると思いました。