ダンサー・イン・ザ・ダーク

Dancer in the Dark
2000年,デンマーク,140分
監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
撮影:ロビー・ミューラー
音楽:ビョーク
出演:ビョーク、カトリーヌ・ドヌーヴ、デヴィッド・モース、ピーター・ストーメア

 60 年代のマメリカの田舎町、チェコから移住してきたセルマは工場で働きながらひとりで息子を育てていた。つらい中でも、大好きなミュージカルをすることさえできる充実した生活を送っていた。しかし実は彼女は遺伝的な病気で失明しつつあり、息子のジーンもまたその運命になるのだ。セルマは息子に手術を受けさせるために必死で働いていたのだった。しかし…
 カンヌの常連、デンマークの名監督ラース・フォン・トリアーがビョークを主演に迎えて撮ったミュージカル映画。とはいっても、今までのミュージカルの概念を突き崩すという意味で革命的な名作。『奇跡の海』に続いてカメラを担当したロビー・ミューラーの映像もさすがに素晴らしい。

 いきなり3分30秒の黒い画面から始まる映画。もちろん暗い映画館で黒い画面を眺めさせることは盲目の疑似体験だろう。この映画の主人公が視力を失いつつあるという予備知識をもって映画館に入れば、その事実は容易に受け入れられる。しかし、そんな予備知識は追いやって画面に見入るほうがいい。そこでは自分の位置間隔が失われたような感覚に襲われるはずだから。
 そして、映像は手持ちカメラのドキュメンタリー風映像に切り替わる。執拗なクロース・アップと手持ちカメラの移動撮影。短いピントが用いられるときにはそれはセルマの視野を象徴しているのだろう。しかし、執拗な手持ちの映像。さすがのロビー・ミューラーの映像でも飽きが来はじめた頃、カメラが止まる。工場で最初のミュージカルシーンが始まり、フィックスのカメラの短カット(そんな言葉はありませんが)の映像に切り替わる。その変化の激しさを色合いの変化がさらに強調する。
 私はこの瞬間にこの映画に捕えられてしまいました。そこから先はリズムに乗って、手持ちと固定が繰り返される。そこから先はカメラは意識から遠のいて、映画のないようにすっと入り込めた。
 もちろん、周到に計算された設定がこの映画を成功に導いている。観客は他のよりよい方法をそれこそ必死で探そうとするけれど、セルマの選ぶ道に同意せざるを得ないことに気がつく。そのストーリーテリングの巧妙さも注目に値する。 しかし、結局のところこの映画はカメラとビョークに主役の座を譲る。つまり映像と音に。
 しかし、あえて難をいうとするならその映像かな。中盤あたりはもっといじってもよかったかなという気もします。具体的にいうと、セルマが視力を失ったということを実感できるような映像的工夫がひとつ欲しかった。焦点の短さがセルマの視野狭窄を象徴しているならば、セルマが視力を失ったということを象徴するようなシーンが、あってもよかったなという感じです。
 でも、ラストのクライマックスはすごくよかった。最後のシーンは現実とミュージカル(あくまで便宜的区別ですが)を融合させるシーンであるわけだから。色合いは現実でカメラはフィックス(つまりミュージカル)。よいです、非常に。