阿賀に生きる

1992年,日本,115分
監督:佐藤真
撮影:小林茂
音楽:経麻朗
出演:阿賀野川沿いに住む人々

 新潟県を流れる阿賀野川。沿岸に住む人は愛情を込めて「阿賀」と呼ぶ。佐藤真はスタッフとともにこの阿賀沿いに3年間にわたってキャンプを張り、そこに生きる人たちを撮影した。昭和電工の垂れ流す有機水銀によって引き起こされた新潟水俣病の問題もひとつの焦点となる。
 ドキュメンタリーとはかくありなん。というストレートなドキュメンタリーだが、完成度はかなりのもの。

 ドキュメンタリーを撮るというと、常に問題になってくるのは相手との距離感。それを克服するひとつの方法は時間だ。佐藤真とスタッフは3年間という時間によって阿賀の人たちとの距離感をつめていった。住み着いた初期のエピソードは語られはするもののおそらくあまり使われてはいないだろう。それよりも阿賀の人たちが彼らに慣れ、カメラに慣れて初めて使える映像が撮れるということなのだろう。
 この映画は新潟水俣病の未認定患者という問題はもちろん、他にも主に過疎がもたらすこの地方の問題を提示する。しかし、それを眉間にしわを寄せてみるようなシリアスなものに仕上げるのではなく、生活のほうからその生活に含まれるものとしてあらゆる問題を描く。このあたりがジャーナリズム的な問題の捉え方とは違うところだろう。それを可能にしたのもやはり「時間」だ。
 そして映画としても、しっかりと計算されている。最初のほう、つつが虫除けのお祈りをするシーンで、最初カートを押すおばあさんが映り、右のほうからなにやら祈る音が聞こえる。おばあさんから右にスーッとパンしていくと祈っている光景が映り、字幕で「つつが虫除けのお祈り」と入る。そこからもう一度、左にゆっくりパンするとおばあさんがちょうどついたところで、その祈りの輪に入る。この1カットの描写がとてもいい。他にも風景も非常に美しく捉えられ、ひとつの魅力となる。
 もちろん、被写体となる阿賀の人たちの魅力こそがこの映画の最大の魅力であることは確かだ。船大工の遠藤さんの舟を見つめる目や、長谷川さんが鈎流しをやる時の目は実にさまざまなことを物語る。いくらナレーションしても足りない言葉をその目は語りかけてくる。
 3年間の映像を120分にまとめる。ドキュメンタリーとはそんなものだといってしまえばそれまでだが、この映画を見ていると、その血のにじむような作業で落とされていったフィルムの存在も感じられる。それだけ研ぎ澄まされた、無駄のない編集。「ドキュメンタリー映画の監督っていったい何をするんだ?」と思ってしまうものですが、編集をはじめとしてこの映画はかなり監督の力量が反映されているのではないかと思いました。