La Chinoise
1967年,フランス,103分
監督:ジャン=リュック・ゴダール
脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影:ラウール・クタール
音楽:クロード・シャンヌ
出演:アンヌ・ヴィアゼムスキー、ジャン=ピエール・レオ、ジュリエット・ベルト、フランシス・シャンソン、ミシェル・セメニアコ、レクス・デ・ブロイン

 毛沢東主義(マオイズム)をテーマにしたゴダール流革命映画。
 相変わらず、人物や場面の設定が明らかにならないまま映画は進行して行くが、とりあえずわかるのは、毛沢東主義を信奉している5人の若者が共同生活をし、それを映画として記録しているということ。しかしこれが映画の映画なのか、どこまでが現実なのか、それはわからないまま映画は進む。
 マルクス主義・共産主義・フランスの政治に詳しくないと意味のわからない用語がたくさん出てくるので、あまりに知らないと苦しいが、マルクス主義思想なんかを少々かじっていればなんとなく意味はわかるはず(それは私)。
 しかし、そこはゴダール。もちろん思想面を伝えることが第一義なのだろうが、ゴダール映画らしい映像感覚とサウンドは相変わらず素晴らしい。とにかく見てみて、うんうんうなずくもよし、わけがわからんと投げ出すもよし、ゴダール的世界を味わうもよし。

 とにかく、設定がわからないのだけれど、「何なんだこれは?」と眉間に皺を寄せながら最後まで見きってしまった。という感じ。最後まで見れば、なんとなく設定はわかるのだけれど、映画の撮影クルーの位置付けがなかなかわからない。おそらく、ゴダールたち自身でもあり、劇中人物でもあるという微妙な立場にいるのだろうとおもうが、果たしてどうか。
 毛沢東主義との兼ね合いもあり、難解と言われがちなこの映画ですが、見てみると意外と見やすい。わけがわからないと言えばわけがわからないのだけれど、ゴダールの映画は見始める時点ですべてを理解しようなどという構えは捨ててしまっているので、理解できなくてもそれは心地よいわからなさと言ってしまえるような感覚。(負け惜しみではないよ)
 最近、ゴダールの映画を見て思うのは、こういう天才的な感性を持つ人の映画は理解するのではなく、流し込むのだってこと。頭を空っぽにして感性そのものを流し込む。そうすると、1時間半の間は自分も天才になったような気になる。そんな感覚で見るゴダール。いいですよなかなか。

 ここまでが1回目のレビュー。今回ある程度、展開を把握してみたところ、実のところ彼らの若者らしい先走り感が映画の全編にあふれており、映画を撮っている男達はそれを冷淡に見つめているという関係性があるような気がしてきました。彼らの革命ごっこが一体どうなるのかをみつめている感じなのか… そこまではなんとなく理解しましたが、それだけ。
 あとは細部に気を引かれ、映像の構図の美しさはやはりゴダールならでは。壁際にひとりが立ってクロースアップでインタビューを受ける場面はそれぞれが違う色調で描かれており、その対比が美しい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です