Before Night Falls
2000年,アメリカ,133分
監督:ジュリアン・シュナーベル
原作:レイナルド・アレナス
脚本:カニンガム・オキーフ、ラサロ・ゴメス・カリレス、ジュリアン・シュナーベル
撮影:ハヴィエル・ペレス・グロベット、ギレルモ・ロサス
音楽:カーター・バーウェル
出演:ハヴィエル・バルデム、オリエヴィエ・マルティネス、アンドレア・ディ・ステファノ、ジョニー・デップ、ジョーン・ペン
キューバの作家レイナルド・アレナスはキューバの田舎の小さな村に生まれた。自分の同性愛的性向と作家の才能に早くから気づいた彼の人生は少年の頃に起きたキューバ革命によって大きく変化した。
同性愛が迫害されるキューバにあって、生きつづけ、書きつづけた作家レイナルド・アレナスの自伝を「バスキア」のジュリアン・シュナーベルが映画化。
原作との比較は常に頭にあるのですが、あくまで映画について語るためにそれはなるべく置いておいて(多分後に進むに連れ比較せずに入られなくなると思いますが…)、映画の話をしましょう。
映画としてこのプロットは非常に平板で、単調な気もします。クライマックスがなくて、1人の男が生まれて死んでいくまでを淡々と語った感じ。このアンチクライマックスの語りが吉と出るか凶と出るかということでしょう。劇場であたりを見回したところ寝ている人もポツポツいたりしたので、単調ではあったのでしょう。それから物語の背景となるキューバに関することがらが余りに語られなさすぎるので、多少の知識がないと物語が理解できないという恐れもあります。
ということで、ここは私がちょっと詳しい程度のキューバの知識を持って原作を知らずに映画を見たと仮定して映画を振り返って見ましょう。長くなりそうだ。
モノローグの映画なのにモノローグを使わない。映画全体が自伝であり、モノローグとして機能しているのに、主人公自身の言葉でモノローグがなされるのは3度だけ。どれも長めのモノローグで、歌のように響く。その言葉自体の意味はわからないけれど、その言葉は軽やかに韻を踏み、詩であるかのように聞こえるし、実際一つの散文詩であるのだろう。その効果的なモノローグに挟まれる形である2つの断章。一つ目のほうが極端に長く、その激しい物語展開とは裏腹に非常に淡々と語られる。イメージの氾濫。言葉ではなく映像で語ろうとする映画という言説。少年が兵士であふれたトラックに乗ることの意味や、教壇に立つロシア語をしゃべる赤い本を持った男の意味や、焼き払われるさとうきび畑の意味がイメージとして語られる。
この文章もだんだんイメージに引っ張られて断片化してきました。
結局原作と比べることになりますが、原作が伝える恐怖感が欠如している。どうしようもない焦燥感と恐怖感、それが伝わっていないのが非常に残念だとおもいました。原作は100倍面白い。書店で見かけたらぜひ買って下さい。
全編一気に映画にしてしまうのではなく、いくつかの断章を拾い集めて再構築したほうが面白い映画になったような気もします。
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