The Sixth Sense
1999年,アメリカ,107分
監督:M・ナイト・シャラマン
脚本:M・ナイト・シャラマン
撮影:タク・フジモト
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ブルース・ウィリス、ヘイリー・ジョエル・オズメント、トニー・コレット、オリヴィア・ウィリアムズ
優秀な児童心理学者のマルコムは市長から賞状をもらい、妻とそれを祝っていた。二人がワインを片手にベッド・ルームへと行くと、そこには侵入者の気配が。その侵入者はマルコムが依然見た患者の1人だった。その男はマルコムを「救えなかった」と責めた挙句に、マルコムに銃を発射した。
少しホラータッチのヒューマンドラマ。M・ナイト・シャラマンとオズメント君がブレイクした作品。
M・ナイト・シャラマンという監督も、オズメント君もいまひとつ気に入らなくて、こんな映画面白いはずがないと思いながら、なんとなく見ないで来てしまったこの映画ですが、見ればなるほど面白い。しかし、重要なのはこの映画の面白さは監督術にあるのでもなく、役者の演技にあるのでもなく、脚本にあるのだということ。結局のところ、私のシャラマンとオズメント君への偏見は変わらず残ったのでした。
ということで、脚本が素晴らしいということをいっておいて、ネタばれ防止の意味も含め、内容には触れずに過ごしましょう。でも、細かく見ていくとかなり不具合があります。つながらない矛盾したところが。それを驚きとか感動とかいった要素で覆い隠している。これもひとつの手法であって、うまく隠してしまっているので、よしということなのでしょう。
で、ストーリーを別にすると、映画の中で非常に印象的なのは赤の色彩。教会、学校、オズモント君の隠れ家?などなど。この「赤」に何らかの意味があるのだろうと思いながら映画を見ていたのですが、終わってみて考えてみても、特段意味は見つかりません。赤という色彩はパッと目を引くので、カットの代わりばなの画面に赤いものが含まれていると(他のトーンが地味ならば)そこに目が行きます。だから画面に赤を配置することそれ自体で効果的ではあるのですが、それが繰り返されると、そこに何らかの意味付けがあるのだろうと推測してしまうのが人間。ということは、そういう方法をとる以上、何らかの意味付けか、意味付けがないことの正当な理由がなければいけないと思います。単なる構図上の美しさとかその程度のことでもいいのですが、何らかの統一性がそこにないと、落ち着かないわけです。落ち着かない…
この映画の赤は時に画面のアクセントであって、時に画面を支配する色であって、それでそれぞれの赤いものが持つ意味合いも違っていて、赤が支配する画面の意味もばらばらで、いたずらに流れを混乱させるだけの存在になってしまっています。あなたはいくつ赤いものを思い出せますか? オスメント君のセーターとか。
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