Making Mr.Right
1987年,アメリカ,94分
監督:スーザン・シーデルマン
脚本:フロイド・バイヤーズ、ローリー・フランク
撮影:エドワード・ラックマン
音楽:チャズ・ジャンケル
出演:ジョン・マルコヴィッチ、アン・マグナソン、ベン・マスターズ
広告会社のフランキーは恋人でクライアントのスティーヴと喧嘩をし、彼の選挙キャンペーンの仕事をおりてしまった。次に彼女に入ってきた仕事は宇宙飛行用に開発されたアンドロイドのユリシーズの広告。知名度を上げて政府からの補助金を確保するという仕事だった。彼女はユリシーズに礼儀作法が足りないといい、自らそのコーチをすることになったが…
ジョン・マルコヴィッチが芸達者らしく二役を演じる、オーソドックスなコメディ。音楽もファッションも80年代らしい時代性が出ていていい。
この当時、ロボットやアンドロイドの技術がどれだけ進んでいたのかは分からないので、この映画の発想が新しいものだったのかどうなのかは分かりませんが、いま見れば特に目新しさもなく、ありがちな話という気がしてしまう。ロボットに代表される「もの」が人間に恋をする。それは大体、生命となってはじめて出会った異性に恋をしてしまうという話が多いですね。おそらく同じ頃の映画だったと思いますが、「マネキン」とか「スプラッシュ」とか(スプラッシュは生きものだけど)そんなお話。
と考えると、こういう話には何らかの原物語のようなものがあるのではないかと考えてしまいます。それはひとつの明確な物語ではなくて、イメージのようなものでもいい。「恋」というものに対する神話じみた物語。そんなものが存在しているような気がします。一目惚れの神秘というかそんなもの。しかも、いまあげた2つも含めて3つの話すべてがコメディというのもまた示唆的なような気もします。そのような神話じみた物語が存在しながら、現代はそれをシニカルに見ているという解釈。そんな解釈ができるかもしれない。
どうも映画がオーソドックスで面白さも並という映画になると、こういうことを書いてしまうようです。こんな解釈の仕方はあくまで見る側の勝手で、作り手の意識には上っていないのでしょう。そういう無意識に従ってしまうパターンのようなもの、だからこそ「神話じみた」ということになる。そのパターンをいかに崩していくのかが面白さのポイントになるのかもしれない。見る側にも存在する無意識のパターンを以下に裏切るか、ということですね。
それで、結局何がいいたいのかといえば、この映画はありがちなパターンの物語を普通に撮ってしまったので、普通の映画になっているということです。面白くないわけじゃないけれど、特にどこが面白いというわけでもない。
オチも読めたしね。
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