Kung Fu Master !
1987年,フランス,80分
監督:アニエス・ヴァルダ
原作:ジェーン・バーキン
脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:ピエール=ローラン・シュニュー
音楽:フィリップ・ベルナール
出演:ジェーン・バーキン、マチュー・ドゥミ、シャルロット・ゲンズブール
マリー=ジャンヌは娘の誕生パーティーで見かけた少年ジュリアンになぜか魅かれ、彼に出会うため学校へと向かう。偶然彼に車をぶつけてしまった彼女は彼をカフェへと誘い、「カンフー・マスター」というビデオゲームに熱中する少年の姿を食い入るように眺めた…
ジェーン・バーキンが娘のシャルロット・ゲンズブールと競演。同じヴァルダ監督の「アニエスv.によるジェーンb.」と双子のような作品。何でも「アニエス…」の撮影中にバーキンが思いついたアイデアらしい。
オープニングのキュートな映像。「あれ?スパルタンX?」と思ってみていたら、映画の中では「カンフー・マスター」と呼ばれている。でも、あのゲームはきっとスパルタンX。作りもまったく一緒だし。
20歳以上という年の差。絵的には違和感があるけれど、決して不自然なことではないと思えるのはやはりジェーン・バーキンの力量でしょうか。マリー=ジャンヌがジュリアンに寄りかかる姿はとてもほほえましくもある。
しかし、すべてが微妙。結局何も描いていないといってしまえるほどに微妙な心理の機微を描いているように見える。映画のどこを切り取っても、明確に断言しているところがない。明確に見えたことも一瞬の後にはまた不明確さの混沌の中に埋没しているような感じ。まるで世の中に明らかなことなどひとつもないのだといっているような。
印象に残っているカットも物語とのかかわりを捉えることができない。島の家の窓のカット、その反復。ジュリアンのお母さん。
なんだかひとつの物語があるようではあるけれど、そこをさまざまな物語の部分が通過していて、物語どうしの境界があいまいになっている感じ。もちろん現実の世界にはほかから独立したひとつの物語など存在しないのだから、そのほうが現実に近いということができるのかもしれないけれど、物語るということはその混沌とした現実からひとつの物語を抽出するということであって、そういう意味ではこの映画は物語ではないのかもしれない。
なんとなく、アントニオーニと近しいものがあるかもしれない。ひとつの物語を抽出しないという点で。監督によって作品の傾向を一般化することにどれだけの意味があるのかはわからないし、その一般化によって見方が固定化されてしまうという弊害があることもわかっているけれど、とらえどころのない作品をとらえるための足がかりを探していたら、そんなイメージに至った。アントニオーニは散逸していく複数の物語。ヴァルダは無秩序にすれ違う複数の物語。重要なのは、その複数の物語を読み解くことではなく、それをそのまま受け入れることだと思います。その散漫さや混沌に、物語によって主張されるの
とは違う主張(あるいは世界)がある。のかもしれない。
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