L’une Chante, L’autre pas
1977年,フランス=ベルギー,107分
監督:アニエス・ヴァルダ
脚本:アニエス・ヴァルダ
撮影:シャルリー・ヴァン・ダム、ヌリート・アヴィヴ
音楽:フランソワ・ヴェルテメール
出演:テレーズ・リオタール、ヴァレリー・メレッス、ロベール・ダディエス

 1962年、歌手を志す高校生のポリーヌは町の写真屋で昔隣人だった友人が子供と一緒にの写真を眼にする。そして彼女がその写真屋と同棲し、子供までもうけたと知る。後日彼女を訪ねたポリーヌは、彼女が貧しさに苦しみながらもう一人子供を身ごもっていることを知る。
 二人の女性はまったく異なった立場ではあるが、どこかにつながりを感じ、ひとつの物語を織り成してゆく。

 昨日は、シュールリアリスティックなヴァルダの世界感について書きましたが、それと比べるとこの映画は非常にオーソドックスな空間を構成しています。まったくの日常の風景。
 この映画にあるのは徹底的なアンチクライマックス。物語をひとつあるいはいくつかのクライマックスに向けて作ろうという姿勢ではなく、ほとんど平坦なストーリーテリングをしようという姿勢。この物語り方は非常に現実的である気がする。大きな節目である自殺の場面を経ても、二人の関係は劇的に変わらない。そもそもその自殺の場面も劇的に演出されない。
 ヴァルダは普段は非常に近くに人物をとらえる。多くの場合、画面からはみ出しさえする。そんなヴァルダが自殺に続くスザンヌの田舎暮らしの場面で徹底して遠くから被写体をとらえるのはなぜなのか? その画面が伝えるのは決してスザンヌの悲惨さというものではない。両親に冷たく当たられながらもスザンヌの顔には笑みがあふれ、子供たちも決して不幸せそうではない。しかしそう幸福そうでもない。
 つまり、この場面は遠くからとらえることで悲惨さやあるいは幸福さが薄められている。それは自殺という劇的な事件を機に大きくドラマが波打つのを防ぐ。
 これらによって作り出されるアンチクライマックスは映画の重心をドラマからそらせる。映画のドラマ以外の部分。それこそが常にヴァルダが観客にプレゼントしたいものなのだと思う。

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