Seventh Heaven
1927年,アメリカ,119分
監督:フランク・ボーゼージ
原作:オースティン・ストロング
脚本:ベンジャミン・グレイザー
撮影:アーネスト・パーマー、J・A・ヴァレンタイン
音楽:エルノ・ラペー
出演:ジャネット・ゲイナー、チャールズ・ファレル、ベン・バード、デヴィッド・バトラー

 パリの貧民街で暮らすディアンヌは酒飲みの姉に鞭打たれ、こき使われていた。そんな二人のところに金持ちの叔父が外国から帰ってくるという便りが来る。精一杯におしゃれして待つ二人だったが… 一方、チコは地下の下水で働きながら地上に出て道路清掃人になることを夢見て崩れ落ちそうなアパートの天井裏に暮らしていた。
 この二人が出会い、展開される愛の物語。サイレント映画というよりは動く絵本。とにかくメロメロのメロドラマ。主演のジャネット・ゲイナーは第1回アカデミー賞の主演女優賞を受賞。

 わかりやすくお涙頂戴。当時の現代版の御伽噺で、「シンデレラ」とか「白雪姫」とかいうレベルのお話です。しかも、キャプションがたびたび挟まれ、趣としては動く絵本。サイレント映画を娯楽として突き詰めていくとたどり着くひとつの形という気がする。
 今回は後にオリジナル・ピアノがつけられた英語版(日本語字幕なし)で見ましたが、サイレント映画を見るといつも、今の映画環境に増して映画というものが一期一会だったのだと実感します。完全に無音だったり、弁士が入ったり、オケがついたりする。これだけ見方うと、ひとつの同じ映画だと言い切ってしまうのは無理があると思えるほどだ。ピアノが単純なBGMではなくて、たとえばこの映画で重要な時計のベルに合わせてピアノを鳴らしたりするのを聞くと、「これがあるとないとではこのシーンの印象はずいぶん変わるなあ」と思ったりする。しかし、どんな見方をしてもこれはひとつの映画で、映像以外の部分は見方の違いに過ぎないのだ。だから、いろいろな見方で見てみるのも面白いと思う。たとえば、小津の『生まれてはみたけれど』を弁士つきと完全に無音の2つの見方で見たことがあるけれど、それはなんだか違うもののような気がした。私は完全に無音の方が好きだったけれど、本来は弁士つきのような見方が一般的だったのかもしれない。
 この一期一会というのはサイレントに限ることではない。今では映画本体は変化しなくなったものの、上映する劇場の設備やサイズによってその印象は違ってくる。もちろんビデオで見る場合などはまったく違うものかもしれない。それにともにそこに居合わせた観客、隣に座っている人なども映画の印象を変えてしまう。
 何の話をしてるんだ? という感じですが、何度も同じ映画を見てもいいよということをいいたいのかもしれません。
 とにかく映画に話を戻して、この映画でかなり印象的なのは画面の色味がカットによって変わること。最初の青っぽい画面から、ディエンヌの家に入ったときにオレンジっぽい画面になる。この2種類の色味がカットによって使い分けられるのが面白い。1シーンでもカットの変わり目で色が変わるところがあったりして、結構効果的。この作品は音が出なかったり、色がつけられなかったりする難点(と監督は考えている)克服しようという工夫がかなり凝らされた作品。サイレント/白黒なりの表現形態を模索したものとは違い、トーキー/カラーに近づこうと努力している映画といえる。この移行期にのみ発想できたこの色の使い方はなかなか気に入りました。

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