1960年,日本,98分
監督:市川崑
原作:幸田文
脚本:水木洋子
撮影:宮川一夫
音楽:芥川也寸志
出演:岸恵子、川口浩、田中絹代、森雅之、岸田今日子
作家の父と後妻の継母と暮らすげんと碧郎の姉弟。後妻の母は手足が悪く、弟の世話や家のことはほとんどげんが女学校に通っていながらやっている。しかし碧郎はどうにもぐれてしまって、ついには悪い仲間に入って盗みを働き、警察に捕まってしまう…
互いにすれ違う家族の姿を描いた地味な映画。しかし、画面の隅々にまで注意の行き届いた緊張感漂う映画でもある。
単純に物語を追うと、非常に地味でしかもギクシャクしていて、落ち着かない。言いたいことがあるようなないような、まとまるようなまとまらないような。その印象は圧巻のラストシーンが終わっても消え去らない。むしろラストシーンによって混乱は増すばかりだ。しかしそのなんともいえない緊迫した空気感のようなものこの映画の味といっていいのだと思う。
その空気感を作り出すのはもちろん映像で、それはもちろん宮川一夫のカメラだ。普段のローアングルとは違い、上からのカットを多用しているのが印象的だが、そうなっても構図の美しさはいつもと変わりがない。しかし、宮川一夫はいわずとしれた名カメラマン。これくらいの仕事は黙っていてもしてくれるはず。そんなに驚くべきことではない。それでもこの映画が宮川一夫の撮影作品でも秀逸なもののひとつだと思えるのは、その光の入れ方である。非常に細かく計算された陰影の作り方。
それに最初に気づいたのは岸恵子と川口浩が夕日をバックに土手に座っているシーン。立ち上がる岸恵子はバックに夕日を従えて、陰になる。しかしそのくらい中で表情は美しい。構図も秀逸だが、岸恵子の顔に入る光の微妙な入り方がその画面の美しさを引き出していると思った。その光の魔術は病院のシーンでいっそう明らかになる。薄暗い裸電球の灯り、廊下の明かり、廊下に漏れ入る外の眩い光、これらの光が壁や人の顔に落とす光と影の陰影はえも言われず美しい。もちろん岸恵子も美しい。画面のメリハリをつけるには照明が非常に重要な役割を果たすのだということがわかります。
照明は伊藤幸雄という人です。ちなみにですが。市川崑作品だと他に『黒い十人の女』などを手がけています。宮川一夫と組んでいるのも『赤線地帯』(溝口)『浮草』(小津)など多数あります。照明から映画を選ぶということはなかなかないと思いますが、タイトルクレジットで伊藤幸雄という名前を見かけたらちょっと注目してみるのもいいかもしれません。
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