社会主義体制下でしたたかに社会に訴えかけるワイダの労作
Czlowiek z marmuru
1977年,ポーランド,160分
監督:アンジェイ・ワイダ
脚本:アレクサンドル・シチ、ボル・リルスキ
撮影:エドワルド・クウォシンスキ
音楽:アンジェイ・コジンスキー
出演:イエジー・ラジヴィオヴィッチ、ミハウ・タルコフスキ、クリスティナ・ヤンダ、タデウシュ・ウォムニッキ
大学の卒業制作の映画制作に取り組むアニエスカは大理石像にもなった労働者の英雄ビルクートの生涯を追う。“技術的理由から”未発表となったニュースフィルムに彼の姿を認めたアニエスカは昔の彼を知る人物にインタビューをしていくが、なかなか彼の実像に近づくことができない…
“抵抗三部作”以来久々にワイダがポーランド社会を正面から捉えた労作。カンヌ映画祭国際批評家賞を獲得。
レンガ工としてレンガ積みの新記録を作り、英雄に祭り上げられた男ビルクート、いまはその消息すら聞こえてこないその男を映画にしようと考えたアニエスカは博物館の倉庫に埋もれている彼の大理石像を発見する。
そして、映画は彼女がビルクートの生涯を追っていくのに伴って彼の生涯を描いていく。彼が名を上げたレンガ積みを記録した映画監督、その時代に彼と親交があった男、その話を基に作られた再現映像が積み重ねられ、彼の実像が徐々に明らかになっていく。なぜ英雄であった彼の写真が壁からはがされ、行方も知れぬ存在になってしまったのか。その物語は非常に面白い。
彼を知る人々は警戒心を抱きながら、彼に関する事実を少しずつ明らかにしてゆく。未発表のニュース映像なども見つかり、このビルクートという人物に観客の興味はひきつけられていく。そして、その中でポーランド社会の誤謬や体制の理不尽さなどが明らかにされてゆくのだ。
なぜこの映画がポーランドで可能になったのかと疑問を覚えたが、よく考えればこの作品が槍玉に挙げている社会の不正はあくまでも昔のものであり、おそらく旧体制のものだったのだろう。この映画が作られたそのときの現存する政権に対する批判が含まれていなければ検閲は通る。そういうことだったのではないかと私は思った。
2時間40分という長尺はさすがに長く感じられ、終盤には見疲れてしまう感じもあったが、最後の最後まで考えられた構成はさすがとしか言いようがない。最後にアニエスカはビルクートの息子を見つける。その息子は再現映像に登場したビルクートにそっくりなのだ。そして彼は淡々と「父は亡くなりました」という。このアンチクライマックスは拍子抜けのように思えるが、最後の最後アニエスカはビルクートの息子とテレビ局に行く。そのときふと気づくのだ。再現映像に出ていたのはこの息子なのだと。
そこからこの長い映画の持つ意味ががらりと変わる。この作品に挿入されていたもしかしたら再現映像は彼女がこの息子を発見してから撮ったものかもしれないのだ。だとすると、ニュース映像として提示されているそっくりの人物が登場する映像も…? ビルクートとそっくりな息子が登場することでこの映画には多くの謎が生まれ、さまざまな解釈が生まれる。
そして、ワイダが4年後に同じ二人を起用した『鉄の男』を撮っていることも意味深だ。しかも、この『鉄の男』はポーランドに成立した“連帯”を支持する作品として作られた。
ワイダはこの『大理石の男』で“連帯”へと向かう若者たちを予言しているかのようにも見える。あるいは、“落ちた英雄”の伝記という形を借りて、現在の若者が抱える社会に対する疑問を映像化したというべきか。しかもその疑問は表立っていわれることは決してなく、幾重にもカモフラージュされた表現の中にのみ見出すことができるのだ。
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