フランス北部の街カレーにはイギリスに渡ろうという不法移民が集まっていた。イラクからやってきた17歳のクルド人ビラルもその一人。彼は家族とイギリスに渡った恋人を追って海を渡ろうとするが密航は失敗に終わり、あとはドーバー海峡を泳いで渡るしかないと考えプールに通い始める。そしてプールで妻と離婚調停中のコーチ・シモンと出会う…
『パリ空港の人々』のフィリップ・リオレ監督が移民問題をテーマに描いたヒューマンドラマ。

 恋人を追ってイギリスに渡ろうとするクルド人の青年が移民を排除しようというフランスの政策によってそれを阻まれるが、一人のフランス人に出会い、なんとか別の方法を探ろうと努力するという話。
移民をめぐる問題というのは非常に複雑だ。先進国とそれ以外との経済格差が根底にあり、その原因の一つは先進国の搾取であると考えると、移民を排除する先進国というのは結局のところ植民地主義の時代から何も変わっていないとも考えられる。しかし、現在の世界情勢の中で先進国が移民を無条件に受け入れてしまったら、先進国の経済が立ち行かなくなってしまうことも確かなわけで、現在の体制を維持するためには移民を制限していかなければならないというわけだ。

ならば、国家間の格差を無くす努力をすればいいわけだが、そこには紛争や内戦の問題が横たわり、移民と難民の問題がミックスされ、一筋縄ではいかない。「移民」というと経済的な豊かさを求めて移住する人々というイメージだが、その背後には複雑な問題が横たわり、その解決のためには世界規模の社会変革や人々の価値観の転換が必要になってくるわけだ。

というわけなので、移民を映画の題材にしようとすると、これまた一筋縄では行かなくなる。というのも、見る人によってその問題に対する味方が大きく異なり、物語の見え方も異なってきてしまうからだ。

そこでこの映画は、問題を出きる限り単純化して、まず主人公の青年をクルド人というおそらく難民と考えられる移民にした。これは彼には国に帰るという選択肢はないことを意味する。その上で、恋人に会うためにイギリスに行くという目標を定めることで、物語を非常に単純なものにするのだ。彼は祖国で元の生活に戻ることもできないし、フランスでも仕事が無い以上、イギリスに行くしかやるべきことはないのだ。

そして、それを恋愛に絡めることでさらに単純化する。愛する人といっしょにいたいという誰もが抱く感情を元に、それを阻む移民問題の不条理を浮かび上がらせるのだ。経済的な問題や政治的な問題というわかりにくい理由付けではなく、恋愛という単純明快な理由付けにすることで、それが実現しない制度のおかしさというのを単純につくわけだ。

このように問題が非常にわかりやすく単純化されているために、移民問題という複雑な問題の大部分はこの映画の埒外に置かれてしまっており、移民問題を「理解する」という観点からするとあまり意味があるとは言えない。しかし、この映画を見れば移民問題がなぜ問題なのかという問題の本質をすこし「感じる」ことができる。

日本ではあまり関係ないと思われがちな移民問題だが、このように苦しんでいる人たちがたくさんいるということを感じることが出来れば、日本にも潜在的に存在している(時には顕在化する)移民問題を頭の片隅にひっかけて置けるようになるのではないか。面白いかと言われると特にどこかが面白かったというわけではないけれど、記憶や印象には残る映画だった。

 同じ監督の『パリ空港の人々』もすごく好きな作品だけれど、これもそんな印象の映画だった。

2009年,フランス,110分
監督: フィリップ・リオレ
脚本: エマニュエル・クールコル、オリヴィエ・アダム、フィリップ・リオレ
撮影: ローラン・ダイヤン
音楽: ニコラ・ピオヴァーニ
出演: ヴァンサン・ランドン、オドレイ・ダナ、ティエリ・ゴダール、デリヤ・エヴェルディ、フィラ・エヴェルディ

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