西部開拓時代のアメリカ、荒野で目を覚ました男は自分が誰かもわからなず、腕には謎の腕輪がはまっていた。近くの町に行った彼はそこでお尋ね者のジェイク・ロネガンとして捕まってしまう。しかし、移送されようという時、謎の飛行物体が村を襲い、多くの人を連れ去っていった。腕輪が思わぬ働きをしてその飛行物体の一つを撃ち落としたジェイクは街を牛耳るダラーハイドラと攫われた人々を探しにゆくが…
カウボーイとエイリアンという奇想天外の組み合わせでひねりを利かせたSFアクション映画。

 エイリアンものといえば王道の『エイリアン』から…という話はさておき、エイリアンと人間が戦うというのはもはやアクション映画の定番中の定番、定番になりすぎてエイリアンが人間じゃないものと戦う映画もたくさん作られていたりする。そんな中、今度は人間は人間でも「カウボーイ」がエイリアンと対決するという、それだけでB級の匂いがする映画がこれ。

しかし、出演者を見るとダニエル・クレイグにハリソン・フォードと大物がふたり、パラマウントがそれなりの製作費をかけて作っているようなので奇をてらったわけではないらしい。

で中身はというと、まあほぼタイトル通り。そしてハチャメチャなB級映画ということもない。記憶喪失に陥ったダニエル・クレイグ演じるジェイクが一体何者か(地球人なのか?宇宙人なのか?)、彼が手につけている腕はは一体何なのか?という謎によってプロットは引っ張られ、仲間内の対立や「インディアン」の登場によって単純な対決構図になることも避けられている。エイリアンの迫力もなかなかのもので、アクションシーンには勢いがある。

と、アクション映画としてはそれなりにしっかりとできていて、楽しく見ることができる。けれど、それはつまり結局のところこの映画がエイリアンものの王道をなぞっているというだけに過ぎず、通常、宇宙空間のような近未来的な舞台装置の中で展開されるものが西部劇の世界で展開されているというだけのものだ。もちろん、そのミスマッチはアクションシーンのあり方にも影響を与え映画のスパイスになっているわけだけれど、強力な力を持つエイリアンと非力な人間という対立の基本が同じである以上、実際のところ現代でも未来でも19世紀でも内容的にそれほど違いは生まれないとうのが正直なところ。

しかし、エイリアンが来るのは現代や未来にかぎらず過去だっていいわけで、実はほんとうに来ていて記録が残っていないだけかもしれない。西部開拓時代というかなり近い過去だとさすがに記録が残っていないとおかしいような気はするけれど、そういう過去があってもいいんじゃないかなどとも思う。王道のエイリアン・アクションを西部劇というアイデアひとつで見られる映画にした、そんな佳作。

2011年,アメリカ,118分
監督: ジョン・ファヴロー
原作: スコット・ミッチェル・ローゼンバーグ
脚本: アレックス・カーツマン、デイモン・リンデロフ、ホーク・オストビー、マーク・ファーガス、ロベルト・オーチー
撮影: マシュー・リバティーク
音楽: ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演: アダム・ビーチ、オリヴィア・ワイルド、サム・ロックウェル、ダニエル・クレイグ、ハリソン・フォード、ポール・ダノ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です