チェルノブイリ原発から約4キロにある街プリピャチ、いったんは避難したものの数年後に住み慣れた家に戻ってきた老夫婦は当たり前のように川で水をくみ、畑で育てた野菜を食べて暮らす。そこからほど近い街中の環境研究所で働く女性は毎朝バスでキエフから通ってくるという。そして、事故を起こした4号機の隣にある3号機はまだ稼働中、その技術者は絶対に事故が起こることはないと胸を張る…
事故から12年後のチェルノブイリを白黒の映像で描いたドキュメンタリー。“死の街”というイメージとは違う現実がそこにある。
1987年に事故を起こしたチェルノブイリ原発4号機、それから12年後の1999年、カメラは“ゾーン”と呼ばれる立ち入り禁止区域に入る。ゾーンに入るには検問を受けなければならず、放射性物質を持ち出さないようにゾーン外に出る車は徹底的に洗浄される。しかし、そんな厳しい規制とは裏腹にこのゾーン内には未だ暮らしている人がおり、4号機の隣の3号機もまだ稼働中なのだ(2000年に停止)。
最初に登場するのは慣れ親しんだ家に戻ってきた老夫婦、放射線のリスクは了解した上で汚染された水を飲み、汚染された土壌で作物を育てて暮らしている。放射線の影響がどのように出るのかは未だにわからないが、通説によれば具体的に健康に影響が出るのは若い世代であり、老夫婦の世代の人々ならそれほど影響はないだろうということは想像でき、このことにはそれほどショックは受けない。
隣の3号機が稼働し、そこで働く人たちがいたというのは知らなければ衝撃的な事実だが、限られた技術者や研究者に限られている以上、それほど非現実的な話ではないように思える。しかし、老夫婦や研究者が外に出るのをカメラが追うと、そこは無人の場所であり、人間が作った建物や道路を自然が侵食していっているのを目の当たりにする。その光景はなんとも現実感がない。人の手が触れられていない原始ではなく、いったん文明が根付いたところが自然に帰ろうとしている風景というのは何か夢のなかの風景のように見えるのだ。
そんなふわふわとした印象のある映画なのだが、研究者の女性がもう何年も帰っていなかったという以前暮らしていた家に戻るシーンでいきなり現実感が襲ってくるのだ。その彼女が住んでいた集合住宅の入り口をくぐると、そこは紛れも無い住居であり、人間の暮らしの匂いが濃厚に漂っているのだ。そこに私はショックを受けた。これが原発事故というものなのだと。そこには子どもが描いた絵などがそのまま残っている。その子供もいまは大人になっているはずだが、そのような思い出の品が無数にその街には残されたままあるのだと考えると、想像力の域を超えてしまうのだ。
この作品が撮られたのは1999年で、撮ったのは後に『いのちの食べ方』を撮ることになるニコラウス・ゲイハルター監督。この作品がいま日本で公開されたのはもちろん福島第一原発の事故の影響だ。福島原発の周辺、双葉郡が12年後にこのようになるだろうことは想像に難くないし、実際にすでに避難区域内に戻ってしまっているお年寄りもいるのだとか。そういうお年寄りに「戻るな」というのは簡単だが、本当にそれでいいのかと自問する。この映画の老夫婦のように影響を知った上で戻るという決断をしたならそれを許し、それなりのサポートをするのが行政なり何なりの役割なのではないか。ライフラインや医療のサービスを受けられるよう何らかのサポートを保障すべきなのではないか、そんなことを考える。
原発に賛成反対はおいておいて、生まれ育った土地で暮らしたいという人々の想いにどう答えるか、そのことは誰もが考えなければいけなことなのではないだろうか。あまり精神的な負荷なく原発事故のことについて考えられる映画とも言えるかもしれない。
1999年,オーストリア,100分
監督: ニコラウス・ゲイハルター
脚本: ウォルフガング・ヴィダーホッファー、ニコラウス・ゲイハルター
撮影: ニコラウス・ゲイハルター
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