インポッシブル

 2004年のクリスマス、日本に暮らすマリアとヘンリーと3人の息子たちは一家はバケーションを過ごそうとタイのリゾートを訪れる。クリスマスの翌日ホテルのプールで遊んでいた一家を突然巨大な津波が襲い家族は離れ離れに、マリアは長男のルーカスを見つけ何とか二人で津波から抜け出そうとするが、マリアは濁流の中で大怪我を負ってしまう…
実際にスマトラ島沖地震で津波の遭遇したスペイン人一家の体験を『永遠のこどもたち』のJ・A・バヨナ監督が映画化。そのリアルな津波の描写は本当に恐ろしく、津波の記憶が生々しい人々には耐えられないものかもしれない。しかし映画としては素晴らしい出来かと。

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東日本大震災で巨大な津波を経験した日本人、そんな日本人として「津波の映画」ということを知ってこの映画に臨む。映画はいきなり暗い画面に轟音で始まる。それは津波ではないことがすぐにわかるのだが、その闇と音だけできゅっと胃が縮む感覚を覚えた。そして、しばらくしてついにそのときは訪れる。前触れの地震もなく、突然訪れる津波、その津波をCGを駆使し、かなりリアルに再現されている。その衝撃、その恐怖、それは実際に津波を体験していなくても、ほんの1年半前に見たニュース映像やその後に聞いた体験者の話という体験があるだけで身のすくむほど恐ろしい映像になる、ある種の「恐怖」映画だ。

もうそれでわたしはやられてしまって見終わってもかなり精神的にやられた状態が続いてしまった。だから、津波を実際に経験した方はもちろん、親類や知人が体験したという方も「見ないほうがいい」と言いたい。それほどにこの映像はトラウマを呼び起こし大きな精神的なショックを与えるものだと思う。

しかしまあそんなことも言っていられないので、もし津波を体験していない状態でこの映画を見たらどうだったろうかということを無理やり想像して、ちょっと語ってみようと思う。

この津波の映像の衝撃というのは観客の心をつかむという意味では非常に大きな効果がある。恐怖でつかまれた心はその恐怖を払拭するためのカギを探し回り、どんどんストーリーに引き込まれていく。そして、このストーリーの肝は意外と序盤に訪れる。それは、何とか濁流から逃れたマリアとルーカスが、子どもの泣き声を聞きつけるシーンだ。ルーカスは自分たちが生き残るため、ママと二度と離れ離れにならないために放って置けばいいというが、マリアは「絶対に助けなければいけない」と主張し、ルーカスにその子どもを捜させる。この「極限の状態で何を選択するのか」というのがこの映画のテーマである。そこに人間性が現れるというとなんとも偽善くさいが、そこで「何が選択できるか」あるいは「何を選択すべきと考えるか」ということをこの映画は問いかけているのだ。

その問いを私たちが何度も繰り返し考えられるようにこの映画は巧妙に組み立てられている。そして、観客がその極限状態を想像し続けられるように津波の恐怖も繰り返し(映画上で)思い出させられるのだ。観客は主にルーカスの立場からそのことを考え、恐怖に身をすくませ、時に感動する。

つまり、この映画は観客をうまくコントロールするという意味でエンターテインメントとして優れ、観客に考えさせるという意味でドラマとしても優れていると思う。

とここまで書いたが、やはりどうしても「津波を経験していなかったら」という想像はしきれない。だからこの映画を冷静に分析することはやはりできない。しかし、映画とはそういうもので、自分の経験と照らして見ることしか私たちにはできないのだ。だから、もう津波の映像を見てオ大丈夫だという確信を持つことができたらぜひこの映画を見て欲しい。そうしたらやはりあの恐怖を思い出してしまうと思うけれど、あまりきつすぎなければその恐怖を思い出すことにも意味はあるはずだ。

そんな風に自分に言い聞かせて、開きかかった生々しいトラウマの傷跡を何とか閉じる。

DATA
2012年,スペイン=アメリカ,107分
監督: J・A・バヨナ
原作: マリア・ベロン
脚本: セルヒオ・G・サンチェス
撮影: オスカル・ファウラ
音楽: フェルナンド・ベラスケス
出演: サミュエル・ジョスリン、ジェラルディン・チャップリン、トム・ホランド、ナオミ・ワッツ、ユアン・マクレガー

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