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13-08-02

ファミリー・ツリー

  • 楽園ではないハワイで家族に楽園を見いだせるか?

オアフ島の弁護士マット・キングは妻がボートの事故で意識不明の重体に陥り、10歳の次女スコッティの世話を久しぶりにしながら妻の病院へと通う日々。一方でカウアイ島にある先祖から受け継いだ兄弟な原野を売却しなければいけない事になり、親族との話し合いの必要に迫られていた。さらに、全寮制の学校から呼び戻した長女のアレックスから思いもしない事実を告げられる…

ハワイを舞台に「家族」について考えなければいけない事態に直面した中年男性の心を描くドラマ。監督は『サイドウェイ』のアレクサンダー・ペイン。微細な心の動きを描くのがうまい。

主人公のマットは金持ち、先祖から数億ドルという土地を信託財産として受け継ぐ。しかし彼は父親と同じように、その土地からの収益に頼ることはなく、自ら弁護士として地位を築き、忙しく仕事をして生活をしている。それでももちろん裕福な生活だが、あまり家族を省みることはなかったようだ。

「ようだ」というのは、そのことがそれほど説明されないからだ。明確にわかる部分は次女のスコッティの世話をするのが「3歳の時以来だ」というところ、後は娘たちのことをちっとも知らないという状況から察するしか無い。それでもそのことは明確で、それが彼が直面する大きな困難の1つになっている。

彼がこの映画で直面する困難は3つ、娘たちとの関係と昏睡状態の妻との関係、そして親戚たちとの関係だ。このうち2つ目の妻との関係は、相手が昏睡状態なだけに彼がどのような形で納得するかという一方的なものであるが、3つ目の親戚たちとの関係は、カメハメハ大王の子孫ということもあり、問題の土地がカウアイ島の原野ということもあって、単なる人間関係ではなく、ハワイという土地とそこに住む人々の関係というより大きな問題をも含むものになっている。

つまり、彼はその3つの困難に直面することで、ハワイという土地、そこに暮らす一族、そしてさらにその一員である自分の家族の全体を見つめなおし、自分がどのように振る舞うべきなのかを根本から考え直さなければいけなくなるというわけだ。

というと眉間にシワを寄せてみなければいけない作品のように見えるが、実のところそうではない。人間の人生というのは常に悲劇と喜劇の両面がある。映画でも小説でも演劇でも、物語というのはそのどちらかの面を切り取ってみせることが多いが、この映画は人間にはその両面があることを描き続けているが故に、笑える場面もあれば難しく考えてしまう場面もある。

その乖離しそうな2つを上手く繋げているのがアレックスの友人のシドだ。最初は苛立たしい若者で、なぜいるのかわからない存在だったのだが、時には道化を演じる彼が実は悲劇的な部分も抱えていて、それがマットやアレックスの心理をうまいこと掬っていく役割を果たす。彼の存在によってマットは子どもたちのことを改めて考え、見ている側もそのマットの心理を掴みやすくなるのだ。

「家族」と一口で言っても十家族十色であり、その有り様は本当に多様である。その多様な家族からひとつのパターンを切り出すのではなく、多様な中の一つをそのまま提示する。それはわかりやすくはないが、やはり家族は家族なのでどこか重なりあうところもあり、その重なり合いをさまざまな形で提示することでその説明しがたいものを言葉ではなく感覚的にわからせようとする。

そしてその感覚的なものの中で大きな要素の一つが家族の外側にある「親族」や「土地」とのつながりだ。家族の中の関係ではなく、家族と外との関係を描くことでマットが家族をどう捉えているのかをより鮮明に描き出す。だからバラバラなように見える3つの困難は最後には1つにまとまる。マットはそれを乗り越えるのではなく、受け入れることによってそれを内在化したのだ。

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