フリー・ライターのマーゴは取材先で同じく取材に来ていたダニエルと出会う。帰り道でも一緒になった2人は偶然にも家が斜め向かいであることを知る。マーゴは料理本を執筆する夫のルーと仲睦まじく暮らしていたが、ダニエルに惹かれ、二人の間で揺れ動き始める…
サラ・ポーリーの監督第2作。ごく普通の女性たちの微妙な心理を丁寧に描く佳作。大きな事件が起きなくても日常の中にドラマはある、そんなことを感じさせられる。

 主人公のマーゴと夫のルーは中の良い夫婦。あらゆる面で特に問題は起きていない。それでもマーゴは別の男性と出会ってしまう。潜在的な不満や不安があったのかもしれないが、ダニエルと出会わなければマーゴの心が夫から離れることはなかったのではないか。

この映画が描いているのは、マーゴの心、ただそれだけだ。しかし、それは同時に女性たちの心でもある。マーゴは夫に満足していた。しかし、そこに別の男性が現れた。特に強く求愛されたわけではない、しかし出会った時から二人の間には化学反応のようなものが存在し、否応なく惹かれ合った。その時、女性はどうするのか。一時的な欲望かもしれない恋情に走って夫を捨てるのか、それとも感情を押しとどめて夫と寄り添い続けるのか、はたまた欲望に溺れてみて夫のもとに戻るのか。

そう考えるとこれは「選択」の映画だということがいえるのではないか。マーゴの「選択」と彼女がそれを選ぶに至った心理を描き、それによって同時に周囲の人達の「選択」との違いも描いていく。

ひとつ非常に印象的だったのはマーゴの義理の姉(か妹)が言ったセリフで、「誰もが我慢をしている」というような言葉だ。誰だってすべてを自分が思うようにはできない。どこかで自分を犠牲にする選択をせざるを得ない時がある、というようなことだ。

それはあたりまえだ。マーゴだって夫を取るにしろダニエルを取るにしろ、その選択をすることで自分にとって大切な何かを犠牲にしているのだ。つまり、この義姉の言葉というのは人生における「選択」の本質を端的に表しているということだ。そして、同時にその「選択」は選択した本人とその周囲では見え方が異なっているということも表している。

となると、どのような選択をしたとしても大局的には同じことのようにみえるかもしれない。ダニエルを選んでもルーを選んでも彼女は何かを犠牲にするわけだし、選ばれなかった側にとっては残酷な選択になるわけだから。

しかし、そうすることでサラ・ポーリーは逆にその「選択」そのものに意味があることを描こうとしたのかもしれない。その選択というのは徹底的にマーゴ自身のものだ。自らの内なる何かを犠牲にしてまでつかんだ彼女だけのものなのだ。そのような選択ができる事自体に意味があるとこの映画は言っているのではないか。

マーゴがどちらを選ぶかは物語的には非常に大きな違いを有無が、実はどちらを選んでもこの映画がもつ意味とかメッセージというものは変わらないのではないか。どちらを選んだとしても観た人の一部は「私なら違う行動を取る」と言うだろうし、別の一部の人は「私もそうしたと思う」と思うことだろう。

「選択」というのはつらいものであるけれど、その権利があるというのは素晴らしいことだ。結果に後悔することがあるかもしれないが、また選択すればいいのだ。その選択の権利を手にし続ける事こそが何よりも大切なのだ。

DATA
2011年,カナダ,116分
監督: サラ・ポーリー
脚本: サラ・ポーリー
撮影: リュック・モンテペリエ
音楽: ジョナサン・ゴールドスミス
出演: アーロン・エイブラムス、サラ・シルヴァーマン、セス・ローゲン、ミシェル・ウィリアムズ、ルーク・カービー

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