この映画はタイトル通り「ダム」の映画だ。巨大なダムの完成を祝うルーズベルト大統領の演説から始まり、19世紀から作られてきたアメリカのダムの歴史も紹介され、地図上に示されると驚くべきとしか言うしか無いほどの数のダムがアメリカに存在していることもわかる。
他方で、この映画は「サーモン」の映画でもあるといえる。サーモンはネイティブ・アメリカンにとって重要なタンパク源で、先祖代々の漁法によって資源量も維持しながらずっと獲ってきたが、ダムの建設によって資源量が激減し、映画の舞台となるワシントン州では1匹しか遡上してこない年もあったといい、それが建設時に魚道を作るなどとしていた保護の約束が果たされていないことに起因することもわかる。
言うなれば、「ダム」に象徴される文明と、「サーモン」に象徴される自然の対立を描いた映画なわけだ。
もちろん、文明の側のほうが力が強く、そちらにはダム政策を推進する議員や、過去のダム政策を進めてきた元官僚などが登場する。議員は公聴会か何かで「ダムを壊して原始時代に戻るのか」などとそれこそ時代遅れの発言をするが、それを支持する人ももちろんいるわけだ。
それに対して、自然の側は、先祖代々の漁場を奪われたネイティヴ・アメリカンの人たちや、巨大なダムに絵を描くゲリラアーティストたちが主役だ。
映画のスタンスとしては、もちろん自然の側に大きく肩入れしているが、すべてのダムを破壊しろというような極端な思想を支持するわけではない、老朽化して不要になったダムを撤去すれば、自然が回復するのだから、費用がかかってもやるべきだという穏やかな主張だ。
印象的なのは、不要になったダムに夜中に忍び込み、バケツを腰からぶら下げて巨大な絵を描くゲリラアーティストだ。彼の作品は「切り取り線」を描くなどウィットにも富んでいて、権力に対抗する手段としてゲリラアートというのが気が利いていると思わせてくれるし、実際一般の人達の多くが彼を支持し、警察も実際は犯罪だけど取り締まる必要は無いなどとコメントする映像も流されて、その効果も実感できる。
もう一つ印象的なのは、実際にダムが撤去された川で、ほんの1年で爆発的にサーモンが増えたという事実だ。ダムに溜まっていた堆積物が放出されたことで、栄養が流域から海にまで流れそれが好循環を生むという解釈のようだが、とにかく自然の回復力というのはすごいものだと実感する。
ここで問題となっているのは古いダムで、そりゃ壊したほうがいいよなと思わせられて、それほど問題提起的な作品という印象は受けないが、これだけダムがあれば、老朽化したダムというのもどんどん増えていくのは間違いないわけで、それをどうするかという問題は必ず日本でも起こってくるに違いない。
その中で、人間は自然とどう付き合っていくべきなのか。ダムにかぎらず、人間は自然を制御するためにさまざまなものを作ったり壊してきた。その何があっていいもので、何がなくなったほうがいいものなのか、それを考えるよう促すのがこの映画であり、劇中に登場したゲリラアートなのだろう。
ここに登場するゲリラアートの作風はどこかバンクシーを思い出すが、バンクシーも最近「ディズマランド」を作ったように、その作品が意味するものを常に考えさせようとするアーティストだ。
「本当に大切なモノは何なのか自分の頭で考えろよ」と映画もアートも私たちに囁きかけ続けているようだ。
DATA
2014年,アメリカ,87分
監督: トラヴィス・ラメル、ベン・ナイト
撮影: ベン・ナイト
音楽: トッド・ハニガン
出演: イヴォン・シュイナード
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