Manufacturing Consent: Noam Chomskyand the Media
1992年,カナダ,167分
監督:マーク・アクバー、ピーター・ウィントニック
撮影:マーク・アカバー、ノルベール・ブング、キップ・ダリン、サヴァ・カロジェラ、アントニ・ロトスキー、フランシス・ミケ、バリー・パール、ケン・リーヴス、ビル・スナイダー、カーク・トゥーガス、ピーター・ウィントニック
音楽:カール・シュルツ
出演:ノーム・チョムスキー、エドワード・S・ハーマン

 世界で一番重要といわれる思想家ノーム・チョムスキー。言語学者として画期的な学説を発表する一方で、ベトナム戦争の反戦運動をはじめとしてさまざまな政治活動にも参加する。多くのテレビ・ラジオに出演し、講演を行い、自分の考えを率直に述べていく。そんな彼がメディアと国家の陰謀を指摘した著書『合意の捏造』。これをネタにしてチョムスキーを追ったドキュメンタリー。
 とにかく膨大な映像を材料として手に入れ、それをうまく構成したという印象が強い。チョムスキーという人物の人物像と思想がわかりやすい形で浮かび上がり、小難しくなく見ることができる秀逸な作品。

 この映画はチョムスキーという人を徹底的に追って、彼の思想をわかりやすく描こうという意図で作られていると思うけれど、それがそのまま監督(たち)が完全にチョムスキーに同意しているというわけではないと思う。もちろんチョムスキーに賛同し、その意見を人々に広めたいという意図はあるだろう。しかし、そもそも人の意見が完全に一致するはずなどなく、彼らも結局のところチョムスキーの思想を「メディア」として自分の都合のいいように媒介しているに過ぎない。
 と書くと、かなりの誤解を生みそうですが、この映画はそれくらいの疑いをメディアに対して持たせる。もちろんこの映画はそのあたりも織り込み済みで、大手企業に独占されるメディアの状況や、独自の意見を表明し続ける独立系のメディアを描いて、自らの正当化を図る。この映画はそもそもメディアについてメディアにおいて語るチョムスキーを描いたメディアなので、問題は複雑だ。
 彼らの意図は、政府や大手メディアのようにチョムスキーの意見を曲解することではなく、チョムスキーの意見を広くわかってもらうために都合のいい部分だけをピックアップする。そのような意味で自分が伝えようとする部分意外は排除するわけだから、完全にチョムスキーに同意しているわけではない。
 この辺りがなかなか難しいところで、時間の限られたテレビショーが話の長いチョムスキーを拒否するのとある部分では似通っている。しかし、ぜんぜん違うというのも確かだ。
 つまり、この映画を見るわれわれはこれはチョムスキーの解説映画であって、チョムスキー自身ではないのだと了解することは必要だ。そのようなものとしてわたしはこの映画もこの映画に登場するチョムスキーも全面的に支持する。この映画はユーモアにあふれているし、人々の目を開かせるような事実を(チョムスキーを介して)明らかにしている点で衝撃的だし、理論的にも整然としているし、チョムスキーの人柄も垣間見える。チョムスキーについてどんな入門書よりもわかりやすく解説していると思う(多分)。

 チョムスキーの思想自体は映画を見てもらえばわかると思うので、あまり深くは触れないが、彼の思想もなかなか複雑だ。ともかくメディアと大衆の関係性について語り、巨大企業と一部のエリートに操作されている大衆に警句を発する。しかし、他方で大衆を完全に信頼しているわけではない。チョムスキーを見ていると、言い方は悪いが大手メディアとの間で洗脳合戦をしているという気もする。ちょっと考えればチョムスキーのほうが正しいということは頭では理解できるのだが、彼もいうように現在の状況から逃れることはなかなか難しい。根本的な社会制度の改革、そんなことが可能なんだろうか。

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