1964年、東京で開かれた第18回オリンピック。日本がこれまでに経験したことのない規模で行われたスポーツイベントを巨匠・市川崑が記録し、映画化した作品。聖歌がギリシャで点火されるところから、開会式、各競技、閉会式まで、時に全体を俯瞰し、時にひとりの人間を追い、余すところなく伝えた3時間近い力作。
公開されたのは、オリンピックが開催された翌年だったが、人々の記憶に新しかったこともあって、ドキュメンタリー映画としては空前の観客動員を記録し、大きな話題となった。
映画は聖火で始まる。聖火とはまさにオリンピックそのものだから、それが当たり前なのだが、その聖火が採火されるところから、アジアの国々を渡り、沖縄にいたり、広島を通り、山道を抜け、東京に至るまでがかなり長い時間を割いて描かれる。そこで描かれるのは一つにはアジアの国々を聖火が通ったのがはじめてであるということ、そしてそこは人でごった返すまさにアジアであるということである。それはつまりオリンピックが東洋にやってきたということの意義を強くメッセージとして明示するものである。
もうひとつは、日本で沖縄と広島が中心的に描かれることである。それは戦争の象徴、日本が敗戦から立ち直ったことを示すと同時に、戦争と対極にあるものとしての平和の象徴としてのオリンピックというものを強く打ち出すためである。聖火とはその平和を象徴する火である。そのことを観客に強く意識させてこの映画は始まる。
開会式では欧米の国々が軍隊式の行進をしているのが眼を惹く。今では“行進”というのは名ばかりで、入場そぞろ歩きになっているが、40年前にはちゃんと行進していたようだ。しかし、その行進の秩序は欧米の国々だけに見られるもので、日本も含めアジアやアフリカ(いわゆる東洋)の国々には見られない。これを見るにつけ、オリンピックなるものがそもそも欧米人によって作られ、欧米人の身体所作から構築されて来たものだということを考える。今では“行進”もなくなり、ヨーロッパ起源ではないスポーツも導入されて、そのような感慨はあまり感じなくなったが、40年前にはそれが強く出ていたのだ。この東京大会で柔道が正式種目になったのはその脱欧米化の端緒であるのかもしれない。
そして競技に移ると、まず感じるのは「懐かしさ」だ。リアルタイムにそれを経験していてもいなくても感じる懐かしさ、それは選手のウェアや競技場の器具、そしてそこで出される記録にある。今とは隔世の感のある科学と技術、まず陸上競技などの記録が10分の1秒までしか計られないことに驚く。何から何までアナログな感じがし、ナイターの照明もなんだか暗い。そこに40年という月日の隔たりを感じ、しかし同時にその素朴さに懐かしさを感じるのだ。アナウンサーが選手を紹介するときにその選手の職業(教師だとか、職人だとか)を言うのもアマチュアリズムというよりは素人の集まりのようで新鮮だ。
しかしだからと言って、競技への興味が失われるわけではない。40年後の今見ても、それぞれの競技のシーンにはスリルがある。結果のわからない真剣勝負、そこには常にロマンがあり、見るものをひきつけてやまない。今から見れば、たいしたレベルにはない記録であっても、その凌ぎあいには手に汗を握るような興奮がある。その真剣勝負のスリルというのは競技や時代、レベルを超えるということだ。そこからは純粋に勝負を楽しむというスポーツを見ることの純然たる楽しみが見えてくる。そこからなんとなしに思うのは、アメリカの野球のマイナー・リーグだ。そのレベルはメジャーに遠く及ばないけれど、その真剣さに惹かれて人々は球場に足を運ぶのだ。それはどこか高校野球の地区予選に似ている。自分とはまったく関係ない、しかも優勝候補でもなんでもない学校の試合でも、見ればついつい熱中してしまう。そんなスポーツの、勝負の魅力をこの映画は思い出させてくれる。
そしてこの映画は、そんな勝負の面白みを選手に肉薄することでますます盛り上げていく。砲丸を投げる選手のクロースアップを延々と映し、終わったとの表情を映す。ひとりの選手を追うというのもひとつの常套手段だ。観客をその選手の、あるいはその選手を応援するひとりの観客の視点に引き込んで、勝負を主観的に見せる。そのレースのとき、観客はぐっと拳を握ってついつい応援してしまう。
映画の中盤では体操を題材にちょっと凝った映像なども使われる。選手の動く軌道をトラックするように残像が重なって、何か幻想的な感じを与える。今となってはどこにでも見られるような映像だが、体操選手(多分、ナタリヤ・クチンスカヤ)の動きのしなやかさが黒いバックに引き立ってとても美しい。
それ以外にもこの映画は数多くの映像的工夫をしている。130台のカメラを駆使して、細部を撮影する。そしてその際には2000ミリという前代未聞の超望遠レンズを使用した(人間の視角は50mmに相当するといわれているから、単純計算でも40倍の大きさに見える)。その超望遠レンズで何を撮影したかといえば、たとえば表情であり、たとえば足である。私は足だけを撮ったシーンがなんだか印象に残った。
そんなシーンも含めて、普通にスポーツの中継や、スポーツの記録を見ているだけでは見ることが出来ない面白いシーンが数多く登場するというのもこの映画の面白いところだ。そして時にはリアルタイムの実況の音声を消して会場の音だけを使ったり、関係ない音楽をかぶせてみたりもする。 それは当たり前のスポーツ中継を見慣れてしまった現代のわれわれには非常に新鮮な光景だ。たとえばたまに野球を見に行って実況や解説がないことに違和感を覚えるような逆転現象が今は起こっているから、なおさらだと思う。
つまり、この映画の凝った映像によってもたらされるのはスポーツの「生」の感じなのである。「生」とは生中継という意味もあるが、生々しいという意味でもある。オリンピックの舞台には栄光だけがあるのではなく、失敗も、後悔もある。マラソンで立ち止まってドリンクを飲み干していく選手たちを見ながら、勝負ばかりがオリンピックではないことも考えたりした。今回のアテネ・オリンピックでは最下位の選手をたたえるサイトも出来ているらしいし、スポーツのドラマはどこにでも潜んでいるのだとも思う。
などと言っているあいだに、映画は閉会式を迎える。開会式の軍隊式の行進とは対照的に、ここでは選手たちが入り混じり、自由に楽しそうに歩いている。肩車をしたり、写真を撮ったり、オリンピックを楽しんだという空気が会場全体に漂っているのが手に取るようにわかる。
そして、インタータイトルによってこの映画のメッセージが流れる。それは「人類は4年に一度夢を見る」というようなものだ。4年に一度のつかの間の平和、オリンピックはそのようなものになってしまっているのだ。この東京オリンピックが行われた1964年、米ソはすでに対立を深め、いわゆる冷戦状態に突入していた。そんな中でも、米ソの選手がここでは抱き合い、互いに健闘をたたえていた。そんな平和をオリンピックという「夢」だけに終わらせたくない。そんなありきたりだが、非常に重要なメッセージがこの映画にはこめられている。
そのオリンピックが平和の象徴であったのもこの東京オリンピックが最後だったのかもしれない。68年のメキシコ五輪では前年のソ連のチェコ侵攻でクチンスカヤは観客のブーイングを浴びた。80年のモスクワ、84年のロスでの東西各陣営の不参加は言うまでもないだろう。そして今回も小さな火種があちこちにあった。男子柔道66キロ級では有力選手であるイランのアラシュ・ミレスマイリ選手が計量で失格になったが、これはイスラエル選手との対戦拒否が理由だという。またイラクのサッカーチームの選手は、ブッシュが大統領選の選挙キャンペーンに「この五輪では2つの自由国家が増え、2つのテロリスト政権が減った」というナレーションに反発し、物議をかもした。
この映画を観ると、東京オリンピックというものがある意味でつかの間の桃源郷であったという感想を持ってしまう。それだからこそこのラストシーンが感動的だともいえるのだ。この映画はドキュメンタリーであるにもかかわらず、事前にシナリオが書かれた。それは、このラストシーンの感動に持っていくための周到なプランニングだったのだと思う。名手ともいえる和田夏十と白坂依志夫に市川崑と谷川俊太郎を加え、ある意味ではフィクションとも言っていいようなスポーツドラマを作り上げた。そのように緻密に組み立てられることによってこの映画はオリンピックの記録映画であるという概念をはるかに超えて、紛れもない名画になった。
DATA
1965年,日本,170分
監督: 市川崑
脚本: 和田夏十、市川崑、白坂依志夫、谷川俊太郎
撮影: 中村謹司、宮川一夫、林田重男、田中正
音楽: 黛敏郎
出演: 三國一朗
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