市民ケーン
Citizen Kane
1941年,アメリカ,120分
監督:オーソン・ウェルズ
脚本:ハーマン・J・マンキウィッツ、オーソン・ウェルズ
撮影:グレッグ・トーランド
音楽:バーナード・ハーマン
出演:オーソン・ウェルズ、ジョセフ・コットン、エヴェレット・スローン
フロリダに建てられた他に類を見ない豪邸ヴァロワ邸。そこで孤独のうちに死んだ元新聞王のチャールズ・F・ケーン。彼が臨終の際に残した「ローズバッド」という言葉。その言葉の謎を解こうと新聞社は生前の彼を知っていた人たちを訪ねてまわる。そこから経ち現れた新聞王の姿とは…
斬新な手法とスキャンダラスな制作背景が話題を呼び、オーソン・ウェルズの名を不動のものとした作品。そのドラマと手法のすばらしさから現在でも名作の一つに数えられる。
まずは、ドラマを見てみましょう。最初の長いニュース映画のプロローグ。この長さが尋常ではないことは確かです。そしてこのニュース映画が謎解きの大きなヒントにもなっている。「ソリ」というのが頭にインプットされてしまってみると、その複線のおき方はかなりあからさまです。そして始まる「ローズバッド」の謎解き。その謎解き自体はいわゆるサスペンス映画とか、推理もののようにはらはらするものではありません。しかし面白いのは、それぞれの証言者の語り口と再現ドラマ。オペラハウスの場面が全く同じ編集で2度繰り返されるというのもなかなか面白かった。
さて、ドラマ自体はそれほどことさらに傑作というものではない。つくりは斬新だけれど、今見てもはらはらどきどきというほどに洗練されているわけではない。ということは、この映画が名作とされるゆえんはやはりその手法にあるのか?ということになります。
一番よく言われるのは「パンフォーカス」。これはつまり、手前にある被写体と奥にある被写体の両方にピントがあっている状態で、奥行きのある画面でも、手前のものと奥のものの両方がくっきりと見えるということ。マニュアルのカメラなどを持っている人はわかると思いますが、そのためには絞りをゆるくする必要があるわけで、それはつまり光量がかなりないといけないということ。それはつまり、スタジオで撮る場合膨大な証明が必要となるということです。
そんな技術的な話はさておいて、画面上でそのパンフォーカスがどのような効果を生むかというと、想像に難くないことすが、手前と奥で同時に2つの出来事を展開することができるということです。 ビデオカメラではかなり簡単にできてしまうので、テレビを見慣れてしまったわれわれには特に目新しいものでもなく、この映画を見ていても気づかずにすっと通り過ぎてしまうことが多いかと思います。
このパンフォーカスにしても、激しい仰角のアングルにしろ、いろいろ言われていることもあって、それほど驚きはないものの、それが以外に自然に映画の中に取り込まれていることがすごい。斬新な手法を(実際はそれほど斬新でもないのですが)斬新なものとしてではなく、映画を作る一つのピースに過ぎないものとして扱うところにこの映画のスケールの大きさを感じました。それはつまり、ドラマと手法が分かちがたいものとしてひとつになっているということ。だから、そのそれぞれはことさらに傑作というものではなくても、それがあいまってすばらしいものになるということ。