ビバ!マリア

Viva Maria!
1965年,フランス,122分
監督:ルイ・マル
脚本:ルイ・マル、ジャン=クロード・カリエール
撮影:アンリ・ドカエ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ブリジット・バルドー、ジャンヌ・モロー、ジョージ・ハミルトン

 アイルランドのために爆破を繰り返す父親を手伝って育ってきたマリーだったがその父が警察に捕まり、涙ながらに警察もろとも爆破した。そして逃亡中に紛れ込んだ旅芸人の一座で踊り異なる。相棒のマリアとともにストリップまがいの踊りで人気を博したが、「マリアとマリア」という名で講演旅行中にサン・ミゲルで事件に巻き込まれる…
 ブリジット・バルドーとジャンヌ・モローというフランスの大女優二人が共演、監督はルイ・マルという作品だが、作品のほうはB級テイストにあふれた楽しいもの。BBの魅力全開という感じだが、物語もなかなか痛快で見ごたえがある。

 いろいろと理不尽なところはあるわけですよ。しかし、それはこの映画が基本的にハチャメチャな映画で(そもそもブリジット・バルドーが革命家という設定からして相当無理がある)、監督はそのことをがっちりつかんで、多少の脱線や理不尽は映画が消化してしまうということを理解している。だから、普通に映画を撮るとしたら何とか調整をつけようとすること、たとえばサン・ミゲルの人たちに映画の演説の意味が通じるとか、そういうことを全く放置して、映画をどんどん進めてしまう。これが映画に勢いをつけて、物語を魅力的にする。そのあたりのストーリーテリングの妙というか、映画の組み立て方が絶妙という気がしました。
 しかも、その辺のB級映画とは違って、それぞれのネタがただのバカネタではない。いろいろ元ネタとか含蓄があるような気がする(具体的に何なのかはわかりませんが)。最後のオチも、単純に笑わせようというネタではなく、神父が…(ネタばれ防止)というところに意味があるわけです。20世紀初頭という設定もただブリジット・バルドーにコスチューム・プレイをさせたいという理由だけではなく(もちろん、それも理由の一つではある)、メキシコの革命という時代設定にあわせてあるのです。そのあたりをしっかり考えている感じがとてもよいです。
 というわけで私はとてもいいと思ったわけですが、一般的に言うと、ルイ・マル映画としては主流を外れ、ブリジット・バルドーものとしてもお色気満点というわけではなく(30代に差し掛かっているし)、コメディというわけでもないので、ターゲットとする観客がはっきりしないのがなかなか難しいところなのかもしれません。でも、やはり、なんか、いいですよ。「古い映画はちょっと」とか、「ブリジット・バルドーって動物愛護の人でしょ」とか思っている人も、この映画ならなかなか楽しめるはず。

死刑台のエレベーター

Ascenseur puur l’Echaaud
1957年,フランス,92分
監督:ルイ・マル
原作:ノエル・カレフ
脚本:ロジェ・ニミエ、ルイ・マル
撮影:アンリ・ドカエ
音楽:マイルス・デイヴィス
出演:モーリス・ロネ、ジャンヌ・モロー、ジョルジュ・ブージュリー、リノ・ヴァンチュラ、ジャン=クロード・ブリアリ、シャルル・デネ

 石油会社に勤める元将校のジュリアンは会社の社長を自殺に見せかけて殺し、女と逃げる計画を立てていた。無事殺しは成功し、会社を出たが、殺人に使ったロープを忘れてきたことに気づき会社に戻る。しかし、エレベーターに乗ったとたん守衛がビルの電源を落とし、ジュリアンはエレベータの中に閉じ込められてしまった。
 ヌーヴェル・ヴァーグの担い手の一人ルイ・マルの実質的な監督デビュー作。おかしなところも多いが、映画的魅力にあふれたサスペンス映画になっている。

 細かいところを言っていけば本当におかしなところが多い。夜中町を歩いてずぶ濡れになったはずのフロランスが次のシーンでバーに入るとすっかり乾いて、髪の毛もセットしなおされているとか、なぜみんながみんなキーを着けたまま車を置きっぱなしにするのかとか。
 それはさておいて、映画としてはかなりいい。特にすきなのは、フロランスが途方にくれて町を歩くシーン、最初真横からフロランスを捉えて、後ろに映る街の人がなぜかみんなフロランスのほうをじっと見る、その後、正面から捕らえて、道路を渡るフロランスの前後を車がきれいに通過していく。非現実的なのだけれど、非常に美しくて魅力的なシーンだ。もうひとつは取調室のシーン。妙に暗くて、ジュリアンの周りだけが白く浮き上がっているその空間の感じが非常にいい。部屋の壁とか、扉とか天井とかそんなものは一切映っていない、舞台上のセットのような空間がたまらなく美しい。
 あとはやはりマイルス・デイヴィスの音楽。フロランスが町を歩くシーンではマイルスのトランペットが鳴り響くが、それはまさに今でいえばミュージック・ビデオのような詩的映像になっている。
 プロットのオーソッドックスさや、細部の稚拙さを差し引いても映画として十分に魅力的な映画。あるひ突然もう一度見てみたくなる作品。